外山の備忘録

徒然なるままに?不定期更新です。

何かに向けて続けてみたいことについて

 唐突ではあるが、僕はこれから一週間に一回程度こうしてまとめて文章を書いていきたいと思う。

というのも、僕が最近読んでいる本に偏りが出てきて、エッセイ調のものが_私小説も何故だか多い_増えてきて、本来の僕のペースが大いに崩されてしまったからだ。

だからこうして文章を書いて、見つめなおして、少しずつ欠損した柱を修復するように個人と対峙したいと思う。

そう発起したはいいものの、僕はとても活動的とは言えない_休みの日は大抵家で本を読むか、晩酌の準備をするか、あるいは本を読みながら晩酌の準備をしている_人間なものだから、何を書こうかに早くも悩んでしまう。

僕に出来ることは、僕がこの目で見たものを、肌で感じたことを、ひたすらにスケッチすることだけなのだ。

そういうことでこの一週間に一回、休みの日は外に出てみようと思う。

そこで僕が考えたことならなんだか書けそうな気がする。

ある時はかっちりした文章を書くこともあるだろうが、基本的には柔らかい文章を書くように努めよう。

 

 僕が住んでいるところは、とある地方都市のベッドタウンです。

バスや電車を使えば都市の中心部までそう時間はかかりませんから、この企画_のようなもの_を敢行するには全く困りません。

しかしいくら移動手段が整備されていても、僕の個人的な思想というか、昔から通底するものとして、人混みが得意ではないという点は予め断っておきたいと思います。

人混みが好きな人がいるかと聞かれれば、まあそりゃあそんな人はほとんどいないと思いますが。

そんな僕が今こうして街に繰り出して文章を練っているわけですから、ある程度現状無理をしていることは理解していただけるでしょう。

 僕は何故だかわからないのですが、昔から「常連」とか「顔馴染み」みたいなものに苦手意識があります。

以前アルバイトをしていたとき、僕は大型ショッピングモールで接客の仕事をしていたわけですが、休憩時間になると毎回ではないもののそこに入っていたマクドナルドでご飯を食べていました。

すると次第に顔を覚えられ、今度はよく頼むメニューを覚えられ、挙句には僕が毎回セットを頼む時に必ずオレンジジュースを頼むことまで覚えられてしまいました。

たとえばある時僕が会計に並んだとします。

すると店員さんに「○○セットのドリンクはオレンジジュースですね?」と言われてしまうわけです。

こうなるともう僕はそこに行くことができない。

気恥ずかしいというかなんというか、この難しい感情を理解してくれる人がどれだけいるのでしょう。

とにかく僕はそういう人間なのです_彼らが本当の好意でそうしていることはもちろん分かっています_。

そんな僕でも、顔を覚えられようが何をされようが通ってしまう馴染みの店がいくつかあります。

その多くは古本屋か喫茶店です。

僕がそれらのお店にどういう感情を抱いているのか、条件があるのかはわかりません。

ただ結果的に見れば、それらに共通するのは以下のようなことです。

一、マスターが静かで遠慮深いこと

二、タバコが吸えること__これは喫茶店とかBARですね__

これだけあれば十分です。

強いて言えば、そんなにお店が流行っていない方が好ましいですが、仮にも客商売をしているところにそんなことは言えません。

コーヒーもお酒も特にオススメされることはなく_古本屋さんはいい本が入れば教えてくれますが、これは僕からお願いしたことです_、頼めるものは全部メニューに書いてあるんだから好きなものを好きなだけ頼めばいいじゃないか。みたいな姿勢が僕はかえって好みなのです。

そんなわけで、先日贔屓のBARに久しぶりに行ったときの話です。

 

 時勢的な影響もあって、どこかにお酒を飲みに行くなんてことは久しぶりだ。

僕はお酒は好きではあるけれど、そんなに強いわけではないからそこまで量は飲めない。

だからこそ慎重に考えていつも選んでいるのだが、しかし結局戻るところに戻るというか、二杯程度カクテルを飲んだら最後は黒ビールを飲むことになる_僕の行動範囲でギネスの黒ビールが飲めるのはここくらいなのだ。あんなに美味しいのに_。

数ヶ月ぶりに久闊を叙することになったわけだが、それでもそこのマスターもバーテンダーさんも快く受け入れてくれた。

時間がまだ若干早かったこともあるが店内に客はほとんど居らず、おかげさまで_?_伸び伸びとお酒と読書を楽しませてもらった。

そうしてしばらく過ごしていると一人、また一人と

入店してきて少しずつ賑やかになってきた。

僕は前述の通り、人混みや喧騒が得意ではないが、馴染みの店がそうして活気ずくのは大歓迎である。

店内をぐるっと見回してみると、本当に多様な人間がいるのだなと思う。

性別も格好も年齢も、そして時として人種すらも違うわけだが、彼らの間には一つのグラスに集約されるべき、無言の秘密だけが力強く共通している。

以前知人にその店を紹介したときのことだ。

「こんなのって疲れちゃうと思うの。なんだか空気が張り詰めているような気もするし、グラスを置くときに少しでも物音を立てたら叩き出されそう」と知人は言った。

たしかに言われてみればそうかもしれないけれど、落ち着いた空間と緊張感というのはどうしても密接に関わり合ってしまうものだし、それはグラスに半分注がれたウイスキーを水で割る瞬間みたいなものだとも思うのだ。

最初こそ分かれたままであったとしても、いずれ攪拌されてトロッと混ざり合う。

それは今この瞬間ではないかもしれないけれど、やがて静かに確実に来るものなのだ。

そういう空間に居ると、僕は不思議な落ち着きを獲得することができる。

極めて限定的な場所で、限定的な行為のもとにしか獲得できない種類の落ち着きだ。

そこで交わされる会話はとても単純化されている。

僕らはたった一杯のグラスを求めて、空間は一杯のグラスを差し出す。それだけだ。

ギネスでもジャックダニエルでも「広辞苑」であってもそれは構わないだろう。

つまり僕が求めるものごとの本質はそこにこそあるんじゃないかと思う。

求める人と与える人が_あるいは空間が_いて、煩わしい一切合切を排除した簡素なやり取りで十分だ。

言葉とはそうあってもいいとたまに思う。

言いたいことや伝えたい想いはあるんだろうけれど、とりあえずこの一杯を飲んでみてくれよ_こいつを読んでみてくれよ_、どうだい?といった風な。

美味しいとか面白いとか、そういう僕らの心の中の氷山の一角を表したところでどうにもならないのだ、結局。

僕らの自己言語はもっと深いところで眠っているのだから、それをいくら翻訳したところで、表出してくるものはその残りカスみたいなものになってしまう。

僕が自分にとって居心地のいい空間を探し出すのに苦心するというのはそういうところにある。

一度や二度で理解できるものではないけれども、ある程度はなんらかの基準を設けて選り分けていかなければならないし、一時は基準を超えても時の洗礼に抗えずに候補地から外れることだってある_それこそ一度や二度ならず何度もそういう経験をしてきた_。

だからこそ、僕がそういう空間に巡り合ったときに思うのだ。

僕らは差し出される側であると同時に、差し出す側であるのだと。

僕らが差し出すものはコースターや金といった「わかりやすい」ものだけではない。

それは誠意である。

「通い続ける」という誠意のみが、僕らが差し出すことのできる数少ない資源なのだ。

立場や職種の違う我々が誠意を媒介することによって、心の根っこの部分でやっと繋がることができる。

ある種の忠誠心の現れなのかもしれない。

 

 僕は今この稿を小さな古本屋の、窓際に申し訳なさそうに置かれたこれまた小さなオットマンでコーヒーを飲みながら書いている。

窓の外にふと目をやると、AirPodsを耳に押し込んだまま誰かと電話しているサラリーマンや、下を向いたままカバンの紐をぎゅっと握った女子大生が足早に歩いていくのが見える。

彼ら_もしくは彼女ら_からは何か、大切なものが抜け落ちているような感じがした。

致命的とは言えずとも、巧妙なエッセンスのようなものが。

赤だけで統一されてしまった紫陽花のような、努力の裏側に埋もれた味気なさがある。

これはなにも、それが悪いと言っているわけではない。

仕事に打ち込むことが生き甲斐だという人もいるし、ある人は何か個人的に抱え込んだ事情が重苦しくて下を向いているのかもしれない。

あくまで僕が外から眺めたときの印象にすぎないのだ。

それでも僕は、たたでさえ時間の流れが否応なしに加速する現代において、個人が所有可能な時間的資産は明らかに目減りしていると思う。

「余裕」というのは最早、生まれるものではなく作り出す時代に突入しつつあるのかもしれない。

僕には幸い、そういう圧に負けない丈夫でニュートラルでプリミティブな空間というものがいたるところに存在する。

そうした精神的な教会を少しずつ広く、大きくしていくことが必要だと思う。

リアタールが「ポストモダン」を「大きな物語から小さな物語へ」と定式化したように、僕らは「大きな都市から小さな空間へ」と依代をシフトしていかなければ、いつか潰れてしまう。

僕が見つけた空間を「精神的な小さき教会」と名するのであれば、そこに居るのは神ではなくか弱い僕個人でしかない。

一方で、街を忙しなく行く彼らは創造論的システムに内包された無自覚な狂信者なのかもしれない。

僕は神に願うには身勝手が過ぎるし、運命を信じるには自分に頼りすぎてきた。

その反動なのだろうか。

僕は人々が頭を擡げる存在が神か悪魔なのか決めあぐねてしまう。