ボトルメール
前書きに替えて
僕がこの文章を書いていたのは、2021年の夏前の風が穏やかに吹いている時期だった。
一つのことについて書くときに、僕は思いつきをそのまま書くのではなく、一度寝かせることにしている。
そのときに沈むものもあれば、反対に浮かび上がってくるものもあるが、いずれも僕が書き物をするにはとても重要な行程である。
必要だと思ったものが沈んでいくこともあるし、全く脈絡もなく浮かび上がってくることだってある。
そういう無意識下での選別作業を行なっているというわけだ。
そしてこの記事が出来上がった。
本来は3月11日前後に完成させることを念頭において書いていたのだが、結局のところ止めることにした。
僕はあくまで罹災者であると同時に、傍観者でもあったからだ。
そんな僕が10年という時間的な区切りを設けることは決して出来ないと思ったし、それ自体がどんなに無意味なことかに思い至ったのだ。
しかし、あの日僕が見た光景や考えたことが、今でも僕の中で浮き沈みしている。
平和な風景の中に留まり続ける、暴力の残滓のようなものが否定し難く存在している。
それは僕個人の内側に潜む暴力性なのかもしれないし、集団が抱える潜在的暴力性なのかもしれない。そして、その一部の暴力性は僕らの足元で息を潜めていることは紛れもない事実なのだ。
だから僕は書くことを選んだ。
どこかの誰かと、故郷と自明の絆を失った僕の間に柔らかな繋がりを取り戻すことにした。
これは僕の極めて個人的かつ共時的営みであると同時に、どこか通時的な意味合いが含まれていることを願うばかりだ。
2月24日、太陽がちょうど自分たちの真上に来る時間、僕は友人2人を誘って宮城県は名取市閖上に来ていた。
実際的な気温は2月の平均とそう大差なかったが、とにかく風が強い日だった。
東日本大震災から10年が経つ、ということは僕にとって文字通りの10年とも受け取れたし、昨日のことととも取れた。
それらは互いに重要な意味を持っていて、その時間感覚の隔たりは切っても切り離すことができないと思う。
僕がこの場でこういう形で文章に改めて、地震について書くかどうか、本当のところ随分と迷った。
書くことの意味、と言ってもいい。
何故なら僕が書くことによって残せるものはとても限られているし、決して少なくない人が不快に思うかもしれない。
それでも僕は書き残すことにした。
自分の中の生々しい記憶が、遠いどこかの駅に届けられた遺失物のように、誰の目にも留まらず、その形を美しく失っていくことができないから。
僕らが閖上に行こうと思ったのは、つい先日のことだった。
それまで漠然と頭の中にあった靄の正体を探っていたころ、震度5強の地震が僕の住む宮城で起こった。
日本列島は4つのプレートの上に寝そべるような形で横たわる島国であり、言わば地震の故郷・巣のような場所で僕たちは生活をしている。
地震が起こるたび、僕は地震は時間や死と近い場所にあるんだと感じる。
大きな地震はいつか来る、確実に。しかしそれは今日ではないと誰もが思う。
同様にして死も同じだ。
誰も自分が今こうしている瞬間に__コーヒーを飲んだりタバコを吸っているとき__死ぬことなんて考えもしない。
いつか死ぬだろうが、それは今日ではない別な日である。
しかし、人間は不死身ではないし、地震は起こる。
もし仮に、今日その両方が起きなかったのだとしたら神様に感謝をした方がいい__そうでなければ自分の天運に__。
例えばそれは、当たり付きのくじ引きを毎日一回ずつ引いてはゴミ箱に放り込む作業と同じことなのだから。
そして10年前、それらは同時に、実際に起きたことなのだ。
前置きが随分長くなったが、現地に着いた僕たちは、実際に自分の足で閖上を歩くことにした。
駐車場の広いスーパーに車を止め、綺麗に舗装されたアスファルトの上を、海岸部へと向かって歩いた。
街の中心部__人々の生活拠点になるように作られた、スーパーやらなにやらが密集している地域__を過ぎると、周囲から建物が少しずつ減っていく。
減っていく、つまり全く何もないわけではないのだが、その数は少ない。
そしてその数えられる程しかない建物は、どれもがここ数年で建てられたような、新しい建物だった。
それは当然のことなのだ。
当時__震災発生以前に__建っていた建造物は、津波という圧倒的な暴力の前に、なす術もなく、粉々に砕かれ、流されていったのだから。
それから更にしばらく歩くと、小高い丘のような、公園のような、あるいはその両方を備えた場所に行き着いた。
そこには慰霊碑とともに、とても小さな社があり、僕らが訪れるよりも前に来たであろう人々が供えた献花があった。
何も語らないその花々は、ひどく僕の心を締め付けた。
この場所で__そう、正しく僕が今立っているこの場所で__あのとき何が起こったのか、それはもう想像することしかできないのだ。
本当に心の芯が冷えた。
僕がここに立つことは、あるいは歩くことは、なんの誇張や壮語なんかじゃなく、誰かの死の上にいたのだ。
都会と比べて決して煌びやかではなくとも、安穏として満ち足りた、いたって‘’普通‘’の生活が営まれていたはずなのに__それは僕らが望まなくとも手に入るべきものだ__、地球の振りかざした、たった一振りの拳が__それに伴い発生する不可避的な作用により__音を立てて崩れた。
その現実が、否応なしに僕らの眼前に横たわっている。
それは本当にショックなことだった。
僕は学生時代に何度となく被災地派遣のボランティアを経験していて、家屋が倒壊した地域の光景や、人々が馴染ませる何気ない表情を、繰り返し繰り返し見てきた。
それから何年が経ったのだろうか。
僕の中には、どこか無責任な希望・期待があったのかもしれない。
時間によってのみ解決されることもきっとあるはずだし、それは物理的実体を伴うものであれば尚更に。
しかし、この10年という歳月は、僕の実感としての速度と全く違っていた。
僕がボランティアに行っていたのは、‘’ほんの‘’数年前の話だった。
悼ましい限りの死は、その数えきれぬ死は__数えるべきなんかじゃない。それは‘’数字‘’じゃないから__、まだ目に見えるところにあるのだ。
僕らはそこで合掌し、その丘を降りることにした__日和山というところだ__。
すると振り返った場所には、一本の決して太くはない松の木が生えていた。
閖上にはあんどん松と呼ばれる、松が集まった区画が一部残っている。
それは長い月日、風雨に耐え、震災を耐え__昨年発生した強風で、市登録文化財の貴重な松が数本倒木してしまったと聞いた。本当に残念でならない__、今もなおその身に命を宿している。
この松はあの苦境を乗り越えたのだろうか。
それとも、それ以降に植えられたものなのだろうか。
とにかく、僕はこの木がある種の希望を担ってくれれたならと思う。
現在、日和山を含めた周囲には、鎮魂のモニュメントや慰霊碑等がある。
この地には様々な人々の想いが積み重なっているのだ。
それは一過性の気紛れなんかじゃなくて、生きた想いだと信じている。
何も僕らが見たものは、負の面だけではない。
閖上には新たな宅地もできていて、自らの意思でこの地で暮らすことを決めた人々が沢山いた。
スーパーや食事処も散見され__近々新しい商業施設ができるというニュースも見た__、この場所は少しずつ変化していることを実感した。
それは何も閖上に限った話ではなく、震災で大きな被害を受けた地域ほとんど全てに言えることだろう。
大きな悲しみの側には、小さな希望が必ず生まれるのかもしれない。
倒れてしまった巨木からも、再び新芽が吹き出すように。
僕は震災によって引き起こされた、様々な事象について、何度となく想いを巡らせてきた。
それらは結果論で語るべきではない。しかし結果からしか学べないことも多くある。
それらについて考えていると、本当の公正さみたいなものからどんどんと離れていくような気がした。
そこに僕は、僕自身の自己矛盾を見つけた。
かつて、僕は何度となく「風化させない」ということを書いたし、必要とあれば喋った。
ある意味で熱心に活動をしていた僕でさえ、海が運ぶ漣のような風化の波へと、身体を預けているような気がしてくる。
僕はふと思うのだ。
自分たちは結局、遠巻きな痛みには鋭くて、身近な傷には鈍感になりたがっていると。
望むべくして、というのか。
どこかの、誰かのことだから、僕らは「区切り」や「節目」などという、ディジタルな目安で物事を判断しようとするし、それができてしまう。
しかし、当事者の人々にとってみれば、それが10年でも20年でも、あるいはその日のことであっても、そこにあるのはただのグラデーションなのだ。
ほんの緩やかなグラデーション。
昨日と今日は何かが違うかもしれないが、10年後でもその位置関係はそう変わらない。
目に見える形で何かを残し、作り替え、目の前の出来事を不恰好に繋いでいる実感が、そのグラデーションをハッキリとした色彩にしていく上で、もしかすると必要なことなのかもしれない。
あの日から永遠に時間が止まったままの人だって、きっといる。
単一色的な日常を過ごして、明日が来ることなき人々に祈り、残されてしまった痛みに打ちひしがれる。
眠れぬ夜もあるだろう。
進みたくても進めない、進みたくもない、しかし戻ることは決して出来ない。
その苦しみを僕らは、どう受け止めるべきなのだろうか。
受け止めるべきじゃないのだろう。
その痛みをなるべく些細に__そう、あくまでも物理的に感じて__、少しずつ繋いでいくしかない。
日本が明日、国同士を巻き込んだ軍事的な争いに発展する可能性よりも__おそらく__、明日、地震によって同質的な苦しみを抱える可能性の方がずっとずっと大きい。
それならば、僕らはその痛みや哀しみを抱える人間を、ほんの一人でも減らさなければならないのだ。
それは被災者云々を抜きにした、あの日あの瞬間を1秒でも跨いだ僕らの、小さくない責任の問題なのだ。
そして僕ら3人は、車がある駐車場へと引き返し、宛先の消えかかった手紙みたいな会話を、ぽつりぽつりと重ねた。
遺された現在と、進み続ける過去が同居しているこの街で、僕らが語るべきことは、いや‘’あえて‘’僕らが語らなければならないことは、ほとんど無かったような気がする。
この日僕らは、時の奔流に投げ出され、時空間の隙間に迷い込んだ気分になった。
そうしてやがて、駅の遺失物届けに入り込むようにして自らの地点を定め、また再びそこから帰ってきた。
僕らには帰るべき家があったからだ。
誰ともなく、帰ろう、帰ろう、と呟き__いや多分実際には誰もそんなことを口にはしなかった__、乾いた音を立ててエンジンが動き出した。
そうしてやがて、さっきまで自分たちが居た地点が薄ら遠くに見えた頃、僕は思わず呟いた。
「閖上ってこんなに近かったっけか」
子供の頃、家族で出掛けた閖上のサイクルセンターは、本当に遠いところに感じた。
長い時間をかけて、時折眠りかけながら、父親の運転する四駆のディーゼル車で出掛けた。
しかし実際その場所は、僕らが車で30分も飛ばせば着いてしまうほど近いところにあった。
僕は背筋に冷たいものが走るのがわかった。
遠くないのだ。
遠くなんかなかったのだ。
ともすれば、あの日と同じことは僕のすぐ目の前で起きていた。
僕はこの日、初めて本当の意味で肉体的に震災と結びついたのだった。
10年という歳月は、1人の右も左も不確かな子供が、ある程度の良識を求められる大人へと成長してしまうほどの時間だ__僕がそうだ。しかし僕は果たして一定量の良識を備えられただろうか。わからない__。
自然淘汰が、時間によって引き起こされる事象であるならば、現時点で僕は運良くその手から逃れられた計算になる。
そして動性の時間を生きる僕らは、この日ところどころの時間が静止した空間に訪れた。
僕らは止まったままの、その時間が再び少しずつでも動き出すことを、心の底から願った。
寄る辺なき祈りにも似た、その想いが、どこかの遠い場所であったとしても__それは時間的な意味合いで、そして物理的な意味合いでも__いつか結実することを願っている。
この記事が少なくない人の怒りを買うこともあるだろうが、たった1人の人が穏やかな気持ちになってくれればそれで僕はいいと思っている。
僕のような、小さなコミュニティの、小さな物書きが故郷のためにできることは、結局は文字を繋げていくことだけなのだ。
このボトルメールが、時間という海に流されて、遠い場所の誰かの手に渡ることを祈ってこの記事を書き終えようと思う。
何かに向けて続けてみたいことについて
唐突ではあるが、僕はこれから一週間に一回程度こうしてまとめて文章を書いていきたいと思う。
というのも、僕が最近読んでいる本に偏りが出てきて、エッセイ調のものが_私小説も何故だか多い_増えてきて、本来の僕のペースが大いに崩されてしまったからだ。
だからこうして文章を書いて、見つめなおして、少しずつ欠損した柱を修復するように個人と対峙したいと思う。
そう発起したはいいものの、僕はとても活動的とは言えない_休みの日は大抵家で本を読むか、晩酌の準備をするか、あるいは本を読みながら晩酌の準備をしている_人間なものだから、何を書こうかに早くも悩んでしまう。
僕に出来ることは、僕がこの目で見たものを、肌で感じたことを、ひたすらにスケッチすることだけなのだ。
そういうことでこの一週間に一回、休みの日は外に出てみようと思う。
そこで僕が考えたことならなんだか書けそうな気がする。
ある時はかっちりした文章を書くこともあるだろうが、基本的には柔らかい文章を書くように努めよう。
僕が住んでいるところは、とある地方都市のベッドタウンです。
バスや電車を使えば都市の中心部までそう時間はかかりませんから、この企画_のようなもの_を敢行するには全く困りません。
しかしいくら移動手段が整備されていても、僕の個人的な思想というか、昔から通底するものとして、人混みが得意ではないという点は予め断っておきたいと思います。
人混みが好きな人がいるかと聞かれれば、まあそりゃあそんな人はほとんどいないと思いますが。
そんな僕が今こうして街に繰り出して文章を練っているわけですから、ある程度現状無理をしていることは理解していただけるでしょう。
僕は何故だかわからないのですが、昔から「常連」とか「顔馴染み」みたいなものに苦手意識があります。
以前アルバイトをしていたとき、僕は大型ショッピングモールで接客の仕事をしていたわけですが、休憩時間になると毎回ではないもののそこに入っていたマクドナルドでご飯を食べていました。
すると次第に顔を覚えられ、今度はよく頼むメニューを覚えられ、挙句には僕が毎回セットを頼む時に必ずオレンジジュースを頼むことまで覚えられてしまいました。
たとえばある時僕が会計に並んだとします。
すると店員さんに「○○セットのドリンクはオレンジジュースですね?」と言われてしまうわけです。
こうなるともう僕はそこに行くことができない。
気恥ずかしいというかなんというか、この難しい感情を理解してくれる人がどれだけいるのでしょう。
とにかく僕はそういう人間なのです_彼らが本当の好意でそうしていることはもちろん分かっています_。
そんな僕でも、顔を覚えられようが何をされようが通ってしまう馴染みの店がいくつかあります。
その多くは古本屋か喫茶店です。
僕がそれらのお店にどういう感情を抱いているのか、条件があるのかはわかりません。
ただ結果的に見れば、それらに共通するのは以下のようなことです。
一、マスターが静かで遠慮深いこと
二、タバコが吸えること__これは喫茶店とかBARですね__
これだけあれば十分です。
強いて言えば、そんなにお店が流行っていない方が好ましいですが、仮にも客商売をしているところにそんなことは言えません。
コーヒーもお酒も特にオススメされることはなく_古本屋さんはいい本が入れば教えてくれますが、これは僕からお願いしたことです_、頼めるものは全部メニューに書いてあるんだから好きなものを好きなだけ頼めばいいじゃないか。みたいな姿勢が僕はかえって好みなのです。
そんなわけで、先日贔屓のBARに久しぶりに行ったときの話です。
時勢的な影響もあって、どこかにお酒を飲みに行くなんてことは久しぶりだ。
僕はお酒は好きではあるけれど、そんなに強いわけではないからそこまで量は飲めない。
だからこそ慎重に考えていつも選んでいるのだが、しかし結局戻るところに戻るというか、二杯程度カクテルを飲んだら最後は黒ビールを飲むことになる_僕の行動範囲でギネスの黒ビールが飲めるのはここくらいなのだ。あんなに美味しいのに_。
数ヶ月ぶりに久闊を叙することになったわけだが、それでもそこのマスターもバーテンダーさんも快く受け入れてくれた。
時間がまだ若干早かったこともあるが店内に客はほとんど居らず、おかげさまで_?_伸び伸びとお酒と読書を楽しませてもらった。
そうしてしばらく過ごしていると一人、また一人と
入店してきて少しずつ賑やかになってきた。
僕は前述の通り、人混みや喧騒が得意ではないが、馴染みの店がそうして活気ずくのは大歓迎である。
店内をぐるっと見回してみると、本当に多様な人間がいるのだなと思う。
性別も格好も年齢も、そして時として人種すらも違うわけだが、彼らの間には一つのグラスに集約されるべき、無言の秘密だけが力強く共通している。
以前知人にその店を紹介したときのことだ。
「こんなのって疲れちゃうと思うの。なんだか空気が張り詰めているような気もするし、グラスを置くときに少しでも物音を立てたら叩き出されそう」と知人は言った。
たしかに言われてみればそうかもしれないけれど、落ち着いた空間と緊張感というのはどうしても密接に関わり合ってしまうものだし、それはグラスに半分注がれたウイスキーを水で割る瞬間みたいなものだとも思うのだ。
最初こそ分かれたままであったとしても、いずれ攪拌されてトロッと混ざり合う。
それは今この瞬間ではないかもしれないけれど、やがて静かに確実に来るものなのだ。
そういう空間に居ると、僕は不思議な落ち着きを獲得することができる。
極めて限定的な場所で、限定的な行為のもとにしか獲得できない種類の落ち着きだ。
そこで交わされる会話はとても単純化されている。
僕らはたった一杯のグラスを求めて、空間は一杯のグラスを差し出す。それだけだ。
ギネスでもジャックダニエルでも「広辞苑」であってもそれは構わないだろう。
つまり僕が求めるものごとの本質はそこにこそあるんじゃないかと思う。
求める人と与える人が_あるいは空間が_いて、煩わしい一切合切を排除した簡素なやり取りで十分だ。
言葉とはそうあってもいいとたまに思う。
言いたいことや伝えたい想いはあるんだろうけれど、とりあえずこの一杯を飲んでみてくれよ_こいつを読んでみてくれよ_、どうだい?といった風な。
美味しいとか面白いとか、そういう僕らの心の中の氷山の一角を表したところでどうにもならないのだ、結局。
僕らの自己言語はもっと深いところで眠っているのだから、それをいくら翻訳したところで、表出してくるものはその残りカスみたいなものになってしまう。
僕が自分にとって居心地のいい空間を探し出すのに苦心するというのはそういうところにある。
一度や二度で理解できるものではないけれども、ある程度はなんらかの基準を設けて選り分けていかなければならないし、一時は基準を超えても時の洗礼に抗えずに候補地から外れることだってある_それこそ一度や二度ならず何度もそういう経験をしてきた_。
だからこそ、僕がそういう空間に巡り合ったときに思うのだ。
僕らは差し出される側であると同時に、差し出す側であるのだと。
僕らが差し出すものはコースターや金といった「わかりやすい」ものだけではない。
それは誠意である。
「通い続ける」という誠意のみが、僕らが差し出すことのできる数少ない資源なのだ。
立場や職種の違う我々が誠意を媒介することによって、心の根っこの部分でやっと繋がることができる。
ある種の忠誠心の現れなのかもしれない。
僕は今この稿を小さな古本屋の、窓際に申し訳なさそうに置かれたこれまた小さなオットマンでコーヒーを飲みながら書いている。
窓の外にふと目をやると、AirPodsを耳に押し込んだまま誰かと電話しているサラリーマンや、下を向いたままカバンの紐をぎゅっと握った女子大生が足早に歩いていくのが見える。
彼ら_もしくは彼女ら_からは何か、大切なものが抜け落ちているような感じがした。
致命的とは言えずとも、巧妙なエッセンスのようなものが。
赤だけで統一されてしまった紫陽花のような、努力の裏側に埋もれた味気なさがある。
これはなにも、それが悪いと言っているわけではない。
仕事に打ち込むことが生き甲斐だという人もいるし、ある人は何か個人的に抱え込んだ事情が重苦しくて下を向いているのかもしれない。
あくまで僕が外から眺めたときの印象にすぎないのだ。
それでも僕は、たたでさえ時間の流れが否応なしに加速する現代において、個人が所有可能な時間的資産は明らかに目減りしていると思う。
「余裕」というのは最早、生まれるものではなく作り出す時代に突入しつつあるのかもしれない。
僕には幸い、そういう圧に負けない丈夫でニュートラルでプリミティブな空間というものがいたるところに存在する。
そうした精神的な教会を少しずつ広く、大きくしていくことが必要だと思う。
リアタールが「ポストモダン」を「大きな物語から小さな物語へ」と定式化したように、僕らは「大きな都市から小さな空間へ」と依代をシフトしていかなければ、いつか潰れてしまう。
僕が見つけた空間を「精神的な小さき教会」と名するのであれば、そこに居るのは神ではなくか弱い僕個人でしかない。
一方で、街を忙しなく行く彼らは創造論的システムに内包された無自覚な狂信者なのかもしれない。
僕は神に願うには身勝手が過ぎるし、運命を信じるには自分に頼りすぎてきた。
その反動なのだろうか。
僕は人々が頭を擡げる存在が神か悪魔なのか決めあぐねてしまう。
読書について僕が思うこと
僕と何か、わかりやすく言えば「僕:世界」を語るのに際して、多分読書は何かしらの構成要素として機敏に働いてくれると思います。
例えば、僕がこの界隈等でこうした活動を続けていると(ありがたいことにもう4年くらい経ちますかね)、少なくない人々が僕に興味を持ってくれました。
それも外面的なものから内面的なもの、果てはパーツにまで。
その度に僕は僕をなるべく正直に、些細に、誤解なく伝える努力をしてきたつもりです。
しかしこれは僕が幼い頃から実感として確かに掴んでいることを言わせていただければ、「言葉とは自分の口から出た瞬間に嘘になる」ということを、この場の共通認識として持っておいてほしいのです。
全てはどこか詳細を欠いているだろうし、歪になることもあるし、膨らむことだって珍しくない。
要するに物理的な意味で真っ直ぐな言葉は存在しないということです(そもそも空気は振動しますしね、これは冗談ですが)。
ただ僕らは幸にして、文章を書くことで他人に何かを伝えることができます。
文字は口に出すよりかはその振動のブレみたいなものが少ない(と思うのですが。あくまで感覚として)ですから、ある程度額面的に、乱暴な言い方をすれば、そっくりそのまま鵜呑みにしてくれるだろうという希望を持って僕らは書いている部分があります。
ですから、僕がこれから書くことも、ある程度鵜呑みにして聞いてほしいのです。
誓って嘘偽りのない本音として。
何故だか僕がどんな本を、どうやって読んで、何を吸収しようとしてるかが気になる奇特な方がいるようです。
一応は書いておきますが、参考になるかはわかりません(随分回りくどい手法ですから)。
大前提として僕は普段割と場所を選ばずに本が読める人なんです。
でもそれは僕が並以上の集中力を持っているからという話ではなくて、単純に読書の方法の話なんですよ。
僕は大抵の場合、同じ本を3〜4回続けて(もしくはチェイサーとして別な本を適度に挟みながら)読みます。
1回目もしくは2回目は全体を把握するためにザーッと流し読みして、次に全体の流れを押さえながらしっかり読み込んで、それ以降は付箋をぺたぺた貼ってみたり、マーカーを引いてみたり、もぞもぞしながら読みます(僕が読むには値しないと判断すれば、流し読みの途中で放棄することもありますが、まぁ稀です)。
ついでに言えば、同じ著者の本を何冊か読むことがもはや癖です。
するとその著者の傾向とかがぼんやり掴めてきますから。
お化け屋敷とかお笑いに精通した人にならわかっていただける感情として、流れや傾向がわかるとその人の「お約束」がわかるということですね。
僕が場所を選ばないというのはそういうことです。
つまり流し読みをする段階の本であれば、始めから腰を据えて読む気がさらさらないから、周りがうるさかろうが静かだろうが関係がないのです。
これが僕の読書の仕方です。
概ね効率性を排した、警察キャリアに対する現場上がりの刑事みたいな読み方ですね、こうして書いてみると。
まあとにかくそうやって僕は本を読んできて、これからもそうしているという確信があります。
次に僕は本というものに、殆ど期待をしていないということは特徴として挙げてもいいと思います。
僕は以前から口酸っぱく周りには話しているのですが、本なんて読まないで生きられるならそっちの方がよっぽど効率がいいです。
本なんか読まなくていいんです。極端なことを言えば。
だって動画の方が情報量が多いし、座って本を読むよりも外に目を向けた方が身になることは転がってます。
百聞は一見にしかず、とは昔の人は良い言葉を遺しますね。
ですから、僕は「ためになる本を教えてくれ」とか、「本を読まなきゃいけないってわかってるんだけど」という人が大嫌いです。
そんなことを言われたあかつきには吐き気を催してしまうし、多分過去に一度や二度は本当に吐いてます。
根本的にその人たちは理解を履き違えているのです。
ためになるならないというのはそもそも、個人の領域拡張に寄与するかしないかですから、個人差があります。
個人差があるものを、単に均して共有することに意味はありませんし、更に言えばこれは僕の発言と矛盾して聞こえるかもしれませんが、ためにならない読書は無いです。
その本が面白ければ広義の「ためになる経験」であるし、面白くなければそれはそれで二度と読む必要がないという意味で勉強になりますから。
本を読まなきゃいけないことなんて、いや本を「読まなければならない」ことなんて、僕が今振り返ってみてもそんなにはないです。
ものを書く、描写するという意味においてはそれらはある程度の枠組みを担保してくれたこともありますが、基本的日常生活を静かに営む上で、読書体験が何かしら即物的な意味合いで得をしたことはないんじゃないかという気すらしてきます。
そういうことで、損得勘定で読書を「しなければならない」ことかどうかで考えれば、僕はハッキリとノーを突きつけられるでしょう。
その程度には本と触れ合ってきました。
反対に、観念的な意味合いにおいては今までの経験は代替不可能であったかもしれません。
僕は映像的に物事を理解することが苦手なのです。
所謂「空気を読む」ことが苦手と言い換えてもいいかもしれません。
先述のように、ときには合理性の対極まで歩いていくこともあります。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という有名な言葉がありますが、僕は残念ながら?後者に位置付けられると言えます。
まあこれに関しては、僕はある程度僕自身の経験から得る跳躍力を信じている部分が多分にありますから(経験してみなければわからないことも事実としてありますしね)、一義的な愚者とは言えない、というのが個人的見解です。
話が逸れましたが、僕は本に対して言わば「鼻炎薬」的な効能を期待していません。
特効薬というよりは漢方薬程度に「うん、なんか身体に良さそうな味がするぞ」ぐらいのもので十分なんです。
本(特に小説に代表される物語)を僕は「パラフレーズの連続性」であると思っています。
何か伝えたいことが一つあるとして、物語はそれを何百ページ、場合によっては何千ページ何万ページもかけて言い換え作業を続けていきます(その途中に亡くなってしまう人がいるくらいに)。
でもそれはもしかすると、たった一行で表現できることかもしれないし、30秒くらいの動画にまとめられる程度のことであるかもしれないし、とにかく程度は違えど、言い換え「なければ」もっと簡単に、効率的に、誰かに伝えられるものです。
小説がしょうもないものであると主張する人がいます。
おそらくそういう人は時代に沿った表現様式ではないという意味合いで言っているのでしょう(事実、時間の持つ重要性は加速度的に拡大しています)。
僕はそういう意見を聞くと「まぁそうだよね、みんなそんなに時間ないよね」くらいに思います。
でも考えてみれば情報は無尽蔵に増加していますし、その実態はもはや収集不可能なほどに攪拌されています。
それらの巨大で膨大な「世界」という名のデーターを、個人の物理的な意味での身体に取り込むことは、おそらくできないでしょう。
すると結局人間は自分の手の届く範囲のものを、咀嚼可能な速度で吸収することしかできないのですから、僕らのような愚者を一概に「愚者=バカ」と論じられる筋合いはありません。
あるとき僕という愚者は、愚者の皮を被った賢者であり、賢者は賢者のフリをした愚者に過ぎません。
だってそうでしょう。
不可能なことをやったみたいな気になって他人を見下すことの、その愚かしさはパラフレーズ不可能です。
とにかくそれらの価値観の相違は、右と左、上と下、内と外くらいに混ざり合うことがありません。
そもそも本を読む人という人は、過去に本を「読まざるを得ない」経験をしたことがある人が多いと思います。
読まざるを得ない。つまり、半ば強制的に本を開いたということです。
僕の場合は、それしか無かったんです。
昔の僕は随分と内向的で、他人と接することが苦痛で、本の中の世界に逃げることが殆ど唯一の安息地だったんです。
その習慣が、大人になった今でも、連綿と続いているに過ぎません。
ですから、本を読む必要がない(これは僕の言うところの読まなくてもやっていけるならそれで良いという考えではなく、本の持つ効力の全てを貶めるという意味で)と大した理由もなく包括的に言うだけの人と、僕らとでは境遇を含めた、包括的な出発点の時点で違うわけです。
それでも僕はこれからも何かしら読むことを止めないでしょうし、止められないと思います。
僕は効率を嫌悪します。
生産性とか、合理化とか、能率。
そういう、無駄じゃないものがいつだって僕の進路を阻んできました。
正解よりも間違いに育てられてきました。
近道なんて見かけたことすらありません。
僕が読書をする理由なんてそんなものです。
個人的に(結果論かもしれませんが)不可分な物事とは、僕以外の世界から見たときに無視されがちなものが多く存在します。
しかしそれらは世界から見たらゴミであっても、僕にとっては非常に枢要な多義的な意味を持つ宝物だったのです。
こうして僕と世界は無意識のうちに沿革して、今のようにな成り立ちが出来上がりました。
これらは嘘偽りのない本音として、僕の心の柔らかい場所の大部分を占めています。
僕以外の(これを今読んでいる)誰かにも、その人だけの背骨があって、身体を組成しているはずです。
自分だけの、他者と自分との関わり方について考えることはひどく難しいものです。
しかし、それらは否応なしに関わり合い、デタッチメントからコミットメントへと緩やかな談合をしていくことは、逃れられない宿命と言えるかもしれません。
気がつけば
気がつけば師走。
僕の暮らす街では初雪が観測されて、凍れる寒さが続いている。
去年、一昨年が殆ど積雪という感の無い程度しか雪が降らなかったから、スキー場やらそういう雪が生命線の場所は大変だったと聞いていた。
そして今年、いざ雪が降ったはいいものの、このご時世ではこれまた難儀なこともあるだろうと思われる。
今年はなんだか春と秋が短かったような気がしないでもない。
暑すぎると気怠るくなるし、寒すぎるのは暑いときよりも苛々が募るからどうにも好かない。
春と秋のあの季節、気温が持つ高揚感と哀愁が堪らなく好きだから少し寂しかった。
僕自身の話をすると、僕はインドアとアウトドアの丁度中間、外と中の区別をはっきりつけ過ぎないという点では旧日本家屋構造的な人間と言えるだろう。
案外僕と近い人も多いんじゃないだろうか。
いつでも外と中を行き来するけれど、庭から外には出ないし、襖一枚で区切られただけの部屋に閉じこもるようなことも少ない。
中途半端、どっちつかずと言えば言い方は悪いけれど、よく言えば柔軟な人付き合いができるタイプとも言える。
話を本来の道筋に戻すと、僕は活発過ぎないと言いたかった。
それが意味するところでは、僕は先んじて海に行くこともないし、山登りはしないし、スキーは滑ることが一応できるけどスノボはできない。
でもプールは好き、沢で水遊びをするのは好き、子供の頃にしたソリが結局一番楽しかった、という記憶は覆せない。
それらは結局僕が小市民的な人間だということを暗に肯定されているようで複雑だけど、そういうことなんだろうと思う。
少なくともそれらを強く否定する材料は無い。
そうしたことを考えていると、なんだか自分がやけに小さくまとまってきつつあるようで、かつて(小学生くらい)の僕が思い描いた僕とは随分と方向性の逸れたところに来てしまったように感じる。
先に述べたように、僕は夏と冬がそれほど好きでは無い。
それぞれの季節の好きな部分を、それぞれの季節の嫌いな部分が大きく上回っていることが原因なのだと思う。
まあ嫌いとは言わないけど。
ところが最近(それもここ2、3日の間)気がついたのは、僕は冬という季節を総合するとどうしても好きにはなれないけど(僕が女の子に振られるのはいつも決まったように冬だ)、やっぱり嫌いと断定できないだけの理由はあるということだ。
特に強く思ったのは、雪が降りつもる深夜の空気は好きだと言っていい。
そう多く雪が積もらない地域に住んでいる人には伝わらないかもしれないが、沢山降った雪は音を吸収する。
街は普段よりも静かで、その中で音は、空気は、少しだけモコモコする。
このモコモコした感じを言葉で上手く表現するのは難しい。
とにかくその物理的にも感覚的にもモコモコした街というのは、本当に素晴らしいものだ。
雪を踏みしめるときの、モキュっという音も好きだ。
世界で一番可愛い音かもしれない。
そしてこれは本当に何を調べたわけでもないから、より感覚的な話になるが、雪が積もった風のない日は僅かに暖かく思える。
その日に深夜歩いていると、なんだか自分は違う世界に迷い込んだような錯覚すら覚えるのだ。
夏になると冬が恋しくなったかと思えば、冬になると夏の照りつける太陽が待ち遠しい。
そうして二十数年同じようにして一番遠い季節に恋焦がれながら生きているのにも、もう疲れた。
もしかすると僕はどの季節も好きになれないまま死んでいくのかもしれないと思うことさえある。
それは四季のメリハリがぴっちりとした日本で生き続ける上で、最も恐ろしいことの一つだ。
そう思っていた。
ただそれは大仰に言えば、僕は永遠に片想いし続ける権利を与えられたとも受け取ることができる。
どの季節も好きで、どの季節も嫌いで、そのジレンマで右往左往する自分という存在が、そうしたときにやけに愛おしくなるのは僕だけなのだろうか。
毎度のように長々と自分語りをしてきたが、ブログとは本来そういうものだから諦めてこれからも読んで欲しい。
僕には一年の総括という概念は無いし、新年の抱負なんかクソ喰らえと思っているから、来年もこうして腐敗堕落した一年を過ごしていくのだろうと勝手に計画している。
また暫く付き合っていってもらえたなら嬉しい。
リハビリと想い出
突然のことで恐縮なのだが、皆さんは日記を書いたことがあるだろうか。
僕はある。
はっきりと覚えているところでだと、二十数年の人生で三回は確実にその決意を持って筆をとった。
それはいずれも進学のタイミングだったと思う。
新たな環境で、身も心も新鮮な気持ちだったのだろう。
その度に僕はLOFTで手帳を買い、スキップしたい想いを必死に押さえつけながら家まで帰った、あの日々がもはや懐かしい。
結果から言うと、これは習慣として長続きしなかった。
しかし、習慣にまでは昇華せずとも、不定期にやってくる個人的に印象深い出来事については何度も認めていた。
今回ブログでわざわざ日記について触れたのは、別段自身の怠慢や怠惰を公にしたかったわけではなく、それなりの理由がある。
先日、自室の机周りの掃除をしていたときに、昔使っていた(最後まではおろか、真ん中までもページを進めたことはないが)日記帳がたまたま発見された。
自分が当時どんなことを書いていたのか気になって、徐にパラパラとページをめくっていると、中々に興味深い体験が散見された。
そうは言っても、そこまでセンチメンタルに浸るということはなく、むしろなまじ文章を書く機会が増えた今の僕から見れば、稚拙さや覚束なさが目立ち、とてもじゃないが愉快な経験ではなかったことは言うに難くない。
さて、前置きが長くなったが、僕は妄ツイを書くにあたって完全な無、本当の「妄想」で書くこともあれば、自身の経験や体験を大きく飛躍させて書くこともある。
日記に書いてあったことは(日記とは自分の気持ちを正直に書く場所だし、誰かの目に触れることを意識して書いていたわけじゃないから仕方ないのだけど)あえて掘り下げるような、つまり妄ツイのネタにするには少しパンチに欠けるものがほとんどだった。
ただ、あのとき曲がりなりにも一生懸命に書いていたものを、つまらないガラクタとして処理するにはあまりにも忍びなかったのもまた真実。
そこで、最近めっきり作品を投稿する頻度が減った僕の「リハビリ」としてリサイクルすることにした。
ブログでならば、ツイッターよりも多少僕に関心がある人が読む(はず)だろうし、僕も書いていて気が楽になる。
予め断っておくが、これから書いていくのは決して「妄ツイ」なんかではなくて、当時の日記の内容に触れながら、今の僕がその事象についてどう感じたか、の言うならば、自作自演の読書感想文ということになる。
近頃、自分の記憶力の不確かさに驚くことがままある。
昔可愛いと思っていた女の子と久しぶりに会ってみると、どうにもあの頃と同質のドキドキがなかったり、無限に続いていくと思えたほど広大に感じた小学校の校庭が、実際はずっとずっと小さかったり。
究極的には多分、当時は一生忘れないと固く誓って心の手帳に書き留めた出来事すら、風化して、破れて、どこか遠くに飛んでいってしまったこともあるんだろう(覚えていないものを回顧することはできない)。
そういう意味で僕が書いていた過去の日記は、遠い過去を今現在に引き摺り出す(良いことも悪いことも)一癖も二癖もある秘密道具のようなものだった。
改めて内容を確認すると、予想通り大したことは書いていなかった。
誰かと遊んだとか、部活に入ったとか、帰り道で誰々に会ったとか。
そうしてそのうち、今日は何も起こらなかったという無味乾燥な文章が二、三回続くとそこで連続記録は途絶える。
いつもお決まりのそのパターンで日記は終わる。
昔の自分は多分、いつも過剰な期待に溢れてたんだと思う。
毎日は楽しくて当たり前で、それでちょっと嫌なことがその合間に栞みたいに挟んであるんだろうって。
栞にはちゃんと意味があって、定期的にそうやって挟んであればいつでもそこから楽しかった記憶まで遡れるから。
でも僕も人よりは随分と遅れながらだけど、割り切りを覚えていく。
そうすると実は、意識しなきゃ気づかないものが沢山あって、気にしないと「何もない」っていう感想にしかならない。
当然だろう。
そんなことを考えながら進んでいく途中、僕は少し気になる名前に何度か出会った。
アクセントをつけるがごとく、丁度本の挿絵みたいにしてぽつぽつと出てくる名前にはなんだか不思議な魅力があった。
それまではっきり言うと忘れていたんだけど、その人は高校三年間クラスが一緒だった友達の名前だった。
こう言うと、三年も一緒にいて名前を忘れるなんて薄情なやつだ、とあらぬレッテルを貼られそうだから怖いんだけど、その人と僕はクラスで同じ時間を共有していたにも関わらず、殆ど話すことはなかった。
その子は女の子だったから自分から話しかけることも、話しかけられることもあんまりなかったし、席替えで近くの席になることもなかった。
僕だって当時はちゃんと男の子をやっていたわけで、好意を寄せていた女の子もいたけれど、その何回か名前が出てきた子(呼びにくいから山田さん(仮名)としておこうか)のことではなかった。
それにも関わらずだ、「今日は何もなかったけど、強いて言えば山田さん(仮名)と話した」とか、「山田さんの家が僕の通学路の途中にあるらしい」とか、そんなどうでもいい、全く踏み込まない内容がつらつらと書いてあるのはなんとも不思議に思えた。
そういえば、今にして思えばではあるけど、男友達同士で女の子なら誰が可愛いとかキレイとかそんな話をした経験が誰しも一度ならずあるだろう(今じゃなんとなく気を使って、表立ってそんな話は出来なくなってしまった)。
その時も僕は何故だか本命の子の名前を出さずにその山田さん(仮名)のことを推していた。
失礼かもしれないが、別に山田さん(仮名)は可愛らしい感じはあるけれど、美人と言い張るには些か無理があるような子だったから、そこまで熱を込めてプッシュする努力するよりも、別な子の名前でも出していればよっぽど省エネに周囲を納得させられたと思う。
言い訳めいた文章が続いてしまったが、要するに、僕は山田さん(仮名)の何にそこまで執着していたのか全くわからないまま高校を卒業してしまったということだ。
いや、その頃の僕には確信をもって理由を述べられたのかもしれないけれど、時間を経るにつれてそんなものは雲散霧消してしまった可能性が高い。
そして今更になって答え合わせに躍起になっているという妙。
もう一つ、これはそこまで長い話ではないのだけど、丁度高校入試が終わってそれから合格発表までの長い休み中の出来事についても書いてあった。
当時仲の良かった友人と一緒に(その友人とはなんだかんだ今でも交流がある)入学する可能性のある、とある高校へ下見に行こうと自転車に乗って行ったことが書いてあった。
それは俗に言う「滑り止め」で受験した学校で、結局二人ともそことは別の高校へ進学した。
それだって不思議な話だ。
僕らは全く同じ私立高校を二校と公立高校を一校受験して(僕の地元では私立<公立 といった構造になっている)、二人が出かけた学校は第三希望的ポジションの学校だった。
二人の間でどんな理由を共有してそこに行ったのかについては、一切触れられていなかった。
さも行くべくして行ったようで、文章からは一切の迷いは感じられなかった。
この日の日記を読んだ後、僕は友人に確認してみたのだが、友人も僕に言われて思い出したようで、どうして二人でそこに行ったのかについては謎のままである。
時間が経ってみれば、これらはどれも理不尽にすら感じるほど、時間的・空間的な前後関係から解き放たれて、不自然に浮き出るようにして手帳の中に認められていた。
今これを書いている途中に思い出したのだが、山田さん(仮名)と僕の間には一つだけ想い出があった。
別にちゃんとした、整理された想い出ではないのだが、高校二年生か三年生の冬場のことだったと思う。
ウインドブレーカーをシャカシャカさせながら、僕は電動自転車を何も考えずに漕いでいた。
やがて行くと大きな交差点に行き当たるのだが、僕は学校から家の方に向かって信号を待っていると、そこで反対車線の向かい側から今度は僕の家の方から学校の方に向けて信号を待っている山田さん(仮名)がいた。
すると彼女の方も僕を見つけたようで、口元に微笑みを浮かべて小さく手を振ってきた。
僕もそれに合わせてなんとなく手を振って、ジェスチャーで自分の後方を指した(たしか口パクで忘れ物?と聞いた覚えがある)。
その時彼女はなんとなく気恥ずかしそうな表情を一瞬浮かべた後(僕にはそう見えた。世界中で僕だけがそう感じ取ったのだとしても、彼女が否定したとしても僕はそう思いたかった)、肯定とも否定ともとれる曖昧な相槌を一つして、眩しい夕陽の中へと再び自転車を漕ぎ出して行った。
僕は暫くそれを眺めて、見送ったような気持ちになってから家に向けて自転車で走り出した。
人生には時たま先述したような、その後の人生にさして影響はないまでも、ほんの少しだけ寄り道するような出来事があるものだ。
いずれ暫くすれば元の道に出てこられるし、こんなところに繋がっていたのか、という感慨みたいなものもない出来事が。
ただこの場合かえって重要なのはその出来事自体などではなく、別な道を選ばなかったことなのだと思う。
僕は決して次の日山田さん(仮名)に前日の出来事について聞かなかったし、友人に別な場所に行くことも提案しなかった。
起こった出来事よりも、起こらなかった幾万の可能性の方がずっと大事だ。
あり得た可能性にさらばと別れを告げて、僕は今日も一つ一つ丁寧に選択しながら生きている。
これからもそうして生きていく。
それを選択と受け取るか、はたまた運命と見るかは人それぞれではあるが、むしろ向こうから選ばせることだって多分にあった。
重要な分岐点のようなものも沢山あったが、僕が選んだ以外の選択をしていたら、大なり小なり今の自分はいないのかなと思うと空恐ろしさすら感じる。
高校を卒業して、あの日々が永遠のように遠く感じることがある(永遠とは我々が想像するよりもずっとずっと長い)。
薄れゆく記憶や想い出が沢山ある中で、こんなどうでもいいような出来事がふっと思い起こされるとき、僕はあの日彼女の背を見送ったときの夕陽を思い出す。
僕の中でだけまだ彼女は気恥ずかしそうな笑みを浮かべて、夕陽に向かって、スカートの端をたなびかせながら自転車を漕いでいる。
妄ツイを書きたいと考えているものの、躊躇しているあなたへ 追記
外山のブログを閲覧いただきありがとうございます。
さて、今回は全七回ほどに分けて投稿した「妄ツイの書き方」にまつわる云々の、総括的な内容になります。
早いもので僕があのブログを投稿してから一年以上が経ち、Twitterの仕様が変わったり、僕個人を取り囲む状況にも変化がありました。
長々と無駄話を書くのも憚られますし、簡潔にまとめると、今回は
①モーメントの作り方(改)
②かつてブログをまとめた時から変わった個人の考え方、並びに所感
③最後に
の順に書いていこうと思います。
①モーメントの作り方(改)
この一年で僕が思う一番大きな変更点は、モーメントをアプリから直接作ることができなくなったことです。
従来は何かを媒介したり、経由することなく、メモ等にまとめた妄ツイをTwitterに投稿して、そのままモーメントに入れることができました。
それが今年の年始前後だったでしょうか(細かい時期は覚えていませんが)アプリからモーメントを作ることが出来なくなりました。
ではモーメント文化の終焉を迎えたかと言うと、決してそうではありません。
ブラウザを一回噛ませることによって、今まで通り、携帯でモーメントを作ることが可能です。
ただし、どうしても手順をいくつか踏まえる必要があるため、以前ほどのお手軽感は失われたと言わざるをえませんが。
尚、今回は僕自身の端末がiPhoneなので、それ準拠の方法になりますが、概ね方向性はAndroidでも同じだと思われます。
⑴ブラウザ(Safari,Fire Fox等)を開き、「ツイッター」と検索する
⑵ツイッターにログイン
⑶画面左上の「AA」をタップ、「デスクトップ用webサイトを表示」を選択
⑷自分のアイコンをタップ、アカウント情報一覧内「モーメント」を選択
⑸画面右上の「⚡︎」マークをタップ
⑹編集画面へ
といった具合に操作すれば、モーメントを作ることが出来るかと思います。
しかしこれはあくまでも、モバイル用のサイトではないため、携帯で操作するのに最適化されているわけではありません。
痒いところに手が届かない、と言いますか、若干の操作感の悪さは否めないことは確かです。
僕は以前、この仕様変更を「タバコの値上げ」と喩えました。
前からタバコを吸っている人には辞める決定打になるほどではなく、これから吸おうと思っている人には踏み留まらせるきっかけくらいにはなる。
そんな感じです。
ただ、これから妄ツイを書こうと思った時に、この手順を0から考えていくのはきっと面倒でしょうし、大変だとは思うので、今回改めてまとめさせていただきました。
②かつてブログをまとめた時から変わった個人の考え方、並びに所感
以前の僕と、今の僕。
そこまで大きな心境の変化やらなんやかんや、というのは正直ありません。
あくまでも趣味に内包されるものであって、同じような人が増えれば嬉しい。
そんなボランティア精神のようなもので、今回もこうしてブログを書いています。
今回奇しくも、僕がこの界隈に来てから二度目のモーメントの仕様変更がありました。
以前までは本のページをめくるようにして、ツイートを読んでいけたものが、箱の中にただただツイートを入れていくだけのような感じになったのです。
正直僕自身はあまり気にしなかったのですが、否定的なコメントが散見されましたので、考えだけでもまとめておこうかと。
妄ツイはかなりグレーな趣味です。
画像を引っ張ってくること然り、事務所に所属するアイドルをメインに据えて作品を書く行為然りetc......
あくまでも誰かの恩寵によって成り立っていますので、それについての不平不満は言えた立場じゃない、というのが率直なところです。
ただその人の作風によって大小様々な影響が発生するというのもわかります(僕も影響を感じてはいるので)。
しかし一度こうなった以上は、趣味の範囲内で試行錯誤するしかない。
そうやって違和を薄めていくことが必要になってくる。
ただこれは書き手側の意見であって、分母が大きいのは読み手側です。
読む側に努力を強いることはなるべく避けたいとは思うので、裏側での試行錯誤はやはり必要なのかもしれません。
③最後に
結局長々と書いてしまいましたが、現時点(12/10時点)で必要な情報は書けたかなと。
あとはとりあえず書いてみること。
書いているうちに分かってくることも色々あるかと思いますので。
一度ご自身で調べてみて、それでもなお分からないことがあれば、DM・質問箱・ツイキャス・リプライ等々で質問いただければ、答えられる範囲でお答えしますので、お気軽にどうぞ。
皆様の応援が日々の創作意欲に繋がっています。
いつも本当にありがとうございます。
どなた様かの一助になれば幸いです。
「いつのまにか、ここにいる」を観ての感想
映画観てきました。
後半の方は時計をチラチラ確認しながら、終わってしまうことがどこか惜しいような気持ちでした。
事前情報というほどでもないですが、あまり映画(というよりも監督に対する)肯定的な意見を確認できなかったのが不思議に思えるような作品だった気がします。
監督が乃木坂46の情報に疎いことは、最序盤にフェアに提示されることもあって、いい意味で薄れた期待感が、後半徐々に濃度を高める構成は好みでした。
気になったことを素直に尋ねる姿勢が特に好意的でしたね。
「あぁそれ聞いちゃうんだ」という質問が折に触れて監督の肉声交じりに提示される部分は、リスクを理解した上での覚悟すら感じられました。
さて、肝心の内容ですが、確かに聞いていた通り主要メンバー数人にスポットが当てられていて、流石に全員に光が当たる作りにはなっていませんでした。
ですが少し考えてみれば、それは至極当然のことだと思います。
むしろ限られた時間の中で、落とせない要素に触れて、突っ込んでほしい部分にはちゃんとメスを入れていたことは素晴らしかったのではないかと。
前回のドキュメンタリー映画の個人的な不満点としては、等身大のメンバーに迫ろうとした結果近づきすぎてボヤけてしまったり、距離感に戸惑って変に構えた部分があったこと、フィーチャーしてるメンバーを平等に扱おうとするあまり薄い部分もフロントに表れていたことでした。
その点でいくと今回は、監督自身の興味・関心が前面に出ていた印象です。
独特な切り口とでも言うか、与田と西野の関係性をここまで接写した媒体は(僕の不勉強なら申し訳ない)あまり印象に無かったので、すごく新鮮に感じました。
ここからは個人的に印象に残ったシーンを列挙していくので、まだ映画を観ていない人にはさっぱりわからないことだと思いますがお付き合いください。
・僕は撮影中に壁に寄りかかる飛鳥ちゃんが印象に残っています。
おそらく本人の中では支えられる側にも、反対に支える側に回ることにも戸惑いがあった(もしくは現在進行形で「ある」)のかもしれないな、というのが何気ないシーンではありますが、そんなところに表れていたと思います。
これは完全な深読みですが、監督がわざと挿し込んでいたようにすら思えました。
とにかく、映画の撮影期間を通して、彼女が考えていた漠然とした「期待感」に対する「期待」はどこかこそばゆかったです。
・西野七瀬と高山一実の関係性をマクロにさっと流して、高山一実個人をミクロに捉えていた部分。
2人のぎこちない友情を「高山一実の失恋」と表現していたのはとても自然に受け入れられて、今までなんとなく僕が言語化できなかったものが少し報われた気がします。
・映画中でかなり意図的に登場していた大園桃子も良かったです。
西野七瀬や齋藤飛鳥の比重が大きいのはある程度予想できましたが、僕個人としては大園推しの人にこそ、この映画は観て欲しい。
どこでも等身大の生身の自分でしか勝負できない自分に対する、客観的かつ不可逆的な視点で自分を俯瞰している彼女のアイドル観に、僕は思わず目頭が熱くなりました。
このブログが更新されている時点ではまだ公開初日ですから、あまり中身に触れるのは避けたいと思いますが、あと何回か観に行って、もう少し自分の中で感想を練りたいですね。
この映画はある程度作為的に落とし所が作られていて、当然そこは感動のボルテージが上がる箇所なのですが、僕は本当に何気ない一言や合間合間に挿話的に出てくるシーンに胸が熱くなりました(卒業に対する考え方の違いや諦観など)。
正直まだ書き足りないと言いますか、鑑賞中に考えていたことを上手に言葉に出来ていないのがもどかしいですが、とりあえず初回の感想としてはここまで。
この映画は人によってはフェアに感じられないかもしれませんが、すごくフラットな映画でした。