握手会に行ってみて
最近めっきりブログを書いていなかったから、なんとなく書くことにした。
外は霙っぽい雨が降っていて、自分の身になることに一切の興味を失ってしまったことに起因するのかもしれない。
さて、そんなことは置いておくとして、僕はついこの間行われた全国握手会(大阪)に参加した。
初めての握手会となった今回、はっきり言ってモチベーションがそこまで高かったとは言えない。
往復に2万円と少しを捻出して、買いたくもないお土産を買ってまで参加する必要が感じられなかったからだ。
周りの人も「初めての握手会が大阪?たいへんだよ」とか「自分だったら行かない」など、大変有り難い言葉も頂戴していた。
結果から言うと、わざわざ大阪まで行ってよかった。この一言に尽きるかもしれない。
それに伴って、目標が無くなったと言えないこともない。
まず先に、行ってよかったと思った理由から書くことにしよう。
たった一言で済むからだ。
可愛かった。
終わり。
……やっぱりちょっと淡白だから、もう少し書き足しておこう。
バラエティで活躍する彼女たちを見ていると、たまにこんなことを考える。
「本当に実在する人間なのだろうか」
いや、実在するんだろう。
ただ証拠がない。
精々この間行ったバスラ、全ツが関の山だ。
ただ今回、生々しい話肌と肌が触れ合った瞬間(余計に見積もっても4,5秒)たしかにそこに居ることを確信せざるを得なかった。
あの感動には、遠出しただけの価値が含まれていた。
間違いない。
僕のコミュ障っぽい捨て台詞も、気持ちの悪いニヤケ顔も、今になっては恥ずかしいけれど、その時は然程気にしなかった。
そして今、僕は次なる目標を探している。
今までは俗に言う、言い訳の期間だったんだろう。
ライブを観たいけど当たらない(そもそも応募していない)、握手会に行くほどのめり込んでない(余ったCDは数え切れない)、そうやって自分を、ライトなオタク層に押し込むことによって、世間からの当たりの強さを感じないようにしたり、興味の対象が広いことを自慢げに思ったりしていた。
自分の溜飲を下げてたんだと思う。
ただ、今年は友人と一緒に東京・大阪にライブや握手会を目当てに遠征した。
してしまった。
面倒な手続きを経て航空券も取ったし、宿泊施設の予約も済ませた。
できてしまったからこそ、もう言い訳はどこにもできない。
足を伸ばそうと思えば、九州や北海道、果てはどこか異国の地まで行けることを知った。
今まで避けて通ってきた楽しみを味わってしまった。
バナナマンを生で見られたし、至近距離でメンバーも見たし、満面の笑みでサイリウムも振ったし、声が枯れるほどコールも叫んだ。
なら次は?
「初めて」の感動に勝るほどの感動に巡り会うときはいつやってくるんだろう。
今こんなに一生懸命になったいる趣味でさえ、後悔の種になっていくんだろうか。
そう思うと末恐ろしくなるが、多分僕は2月のバスラに応募するだろうし、どこかのタイミングで握手会にも行く。
特段これといった理由もなく、なんならあの感動に再び出会う喜びを求めるでもない。
負い目や、後ろめたさを感じる暇を、別の何かで埋めようとする。
こうして書いてきたことは、きっとマイナスなことばかりでもなくて、むしろ新しいプラスを生み出す一助になると思う。
この一年間は僕にとって新しいことが多すぎただけだ。
人でごった返した心斎橋前のように、雑多ななにかの合間を縫って歩いていたところを、急に原っぱに放り出されただけだ。
心底そう思う。
初めて見た満点の星空の美しさに徐々に飽きることがあっても、今度は星座を作り出そうとするだろう。
そうやって、少しずつ自分の中の初めてを増やしていきたいし、ささやかな楽しみにしていきたい。
握手会が終わった直後のやりきった感は、こうして僕の中に吸い込まれていった。
興味があるにも関わらず(本人の心意気次第で不可能じゃないこと)手を出さないことは、何かしらの理由をつけて「できない」にすり替えているだけなのかもしれない。
それは怠慢だし、臆病なことなのだと思った。
もちろん、行きたくても行けない理由がある、チケットを当てたくても当たらない、そうした本人の努力やなんかが全く効力を持たない理由である場合は除くけれど。
久しぶりに、自分の中で溜まったものを吐き出せてよかった。
これからも一週間に一回くらいのペースで更新できたらな……なんて思ってみたりする。