外山の備忘録

徒然なるままに?不定期更新です。

暗い趣味

妄ツイを書き始めてしばらく経って、僕の中では「何かを書きたい」という欲の高まりと、「書くべきことがわからない」という相反する気持ちが交錯することが増えた。

会話と会話の間に挟む、丁度いい言葉の配列が思いつかなくてそのままメモをそっと閉じる。

そんなことが二回三回と続くにつれて、書きたくて書いているのか、書くことに対する使命感を大袈裟に感じているのかがわからなくなった。

そんなときに、僕は一人心の中で禅問答のようなことをすると、ものを書きたい衝動が湧き上がることに気がついた。

テーマは漠然としていた方がいい。対する回答は、小難しくそれっぽいことを具体的に言語化して考えるといい。

思い返せば、宿題で課せられる作文は好きではなかったが、スピーチの原稿を考えるのは好きだった。

誰かに対する単純な意見陳述よりも、自分の内面を見つめ、それを発表することは苦痛ではなかったらしい。

 

最近細やかな疑問が増えた。

それ自体を考えることに意味などないし、ましてや大きな問題が解決向かうケースになど出会っていない。

ただ考える。

すると、その疑問とは全く関係ない場所で自分の中の引っ掛かりが取れることがある。

例えば、何故こんなにも暖かくて気持ちがいい日なのに、道行く人はみんなしかめっ面をしているのだろう。という疑問を無理やり設ける。

あまりにも漠然としていて、ゴールの見えない疑問を長時間考えていると、その道中で別の問題の意外な解決策が見つかる。

この間は上記のようなことを考えているときに、僕の幼稚園の頃に犯した失敗の解決策が見つかった。

 

すでにある答えの中から、無理やり自分の状況を重ねること、つまり演繹することは間違いではないが、次の疑問に当たったときにまた探す手間がかかることが多い。

自分の中で、今は全く必要のない情報を蓄えること。

それらは一見無駄に見えるが、意外な場所で自分の引っ掛かりを取ってくれる、ということに最近気がついた。

自分のキャパを増やすことは案外楽しい。

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