外山の備忘録

徒然なるままに?不定期更新です。

暗い趣味

妄ツイを書き始めてしばらく経って、僕の中では「何かを書きたい」という欲の高まりと、「書くべきことがわからない」という相反する気持ちが交錯することが増えた。

会話と会話の間に挟む、丁度いい言葉の配列が思いつかなくてそのままメモをそっと閉じる。

そんなことが二回三回と続くにつれて、書きたくて書いているのか、書くことに対する使命感を大袈裟に感じているのかがわからなくなった。

そんなときに、僕は一人心の中で禅問答のようなことをすると、ものを書きたい衝動が湧き上がることに気がついた。

テーマは漠然としていた方がいい。対する回答は、小難しくそれっぽいことを具体的に言語化して考えるといい。

思い返せば、宿題で課せられる作文は好きではなかったが、スピーチの原稿を考えるのは好きだった。

誰かに対する単純な意見陳述よりも、自分の内面を見つめ、それを発表することは苦痛ではなかったらしい。

 

最近細やかな疑問が増えた。

それ自体を考えることに意味などないし、ましてや大きな問題が解決向かうケースになど出会っていない。

ただ考える。

すると、その疑問とは全く関係ない場所で自分の中の引っ掛かりが取れることがある。

例えば、何故こんなにも暖かくて気持ちがいい日なのに、道行く人はみんなしかめっ面をしているのだろう。という疑問を無理やり設ける。

あまりにも漠然としていて、ゴールの見えない疑問を長時間考えていると、その道中で別の問題の意外な解決策が見つかる。

この間は上記のようなことを考えているときに、僕の幼稚園の頃に犯した失敗の解決策が見つかった。

 

すでにある答えの中から、無理やり自分の状況を重ねること、つまり演繹することは間違いではないが、次の疑問に当たったときにまた探す手間がかかることが多い。

自分の中で、今は全く必要のない情報を蓄えること。

それらは一見無駄に見えるが、意外な場所で自分の引っ掛かりを取ってくれる、ということに最近気がついた。

自分のキャパを増やすことは案外楽しい。

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デカい独り言、自意識過剰

昔から親には「減らず口」とか「屁理屈ばっかり」と怒られることが多かった。

それは周りの人達が社会に出ているような年頃になっても変わらない。

つまり今でも何も進歩してなどいない。

不満というのも違うから、単純に疑問が多いのかもしれない。

何故パーカーだけで深夜出掛けることを咎められるのか、何故帽子をかぶっていると他人はこれ見よがしに笑ってくるのか、ヘアセットを欠かさない人間の方が人として上に見られるのか。

厨二病である。

思い返せば僕の十代は特殊だったかもしれない。

そういう社会通念的なもので他人を押し図らず、より面白いことにストイックな連中が周りには溢れていた。

芸人さんのように仕事と割り切るわけではなかったが、そんなラフな感じが心地よかったんだろう。

歳を重ねれば、僕自身の環境も状況も変わるわけで、そんな変化を感じつつも楽しめる人間が世の中では強者として崇め奉られるんだろうな。

僕にはできないけど。

 

僕はこれを東京に向かう新幹線の中で、暇つぶしも兼ねて書いている。

最初の一行を書き始めた文言が、自分の中ではだいぶインパクトのあるものだったからか、今書きながらも色んなものに疑問が湧いて仕方がない。

僕が周囲に対して口に出さないまでも、思考という意味で攻撃的になったのはいつからだったか。

少なくとも、義務教育を終了するまではここまでややこしくなかった。

そうして記憶の糸を辿っていくと、高校生の頃でビビっと手応えがあった。

あれは高校二年生の頃、僕は学校にも行かずに友達と集まっては麻雀をしたり、そのことが祟って親に怒られては深夜に家を出て公園で野宿するようなやつだった。

最低だ。

学生には学生の本分があって、みんなそれに疑問を抱くことなく(抱いたとしてもそれを何の気なしに飲み込んで)生きている。

ただ当時の僕には、それがどうにも我慢ならなかった。

大人は納得のいく答えなんて出してくれない、Siriの方が会話ができる、などと本気で考えていたのだから目も当てられない。

今にして思えば、周囲と比べて抜きん出た才能もなく、膨大に時間だけが与えられた高校生が辿り着く極地だったのかもしれない。

今ならハッキリとあの頃の自分に言ってやれる。

それって時間の無駄だよ、と。

他の誰かに言われたならまだしも、自分自身に言われてしまっては、当時つんつんとしていた僕でも流石に閉口するだろうな。

 

途方もなく長いモラトリアムを経て、僕は一体どれほど成長したのだろう。

自分がニーチェにでもなったかのような気でいた高校時代から何かが大きく変わったとは思えない。

この間幼馴染と呼べる友人と話していても、小学生の頃の自分と今の自分の明確な違いを考えて、結局結論を出すことなんてできないまま夜が更けていった。

今改めてじっくりと考える時間が与えられて、思考を巡らせてみる。

そろそろ大宮駅も近づいてきたであろうところまできて、ハッと気がつく。

慣れただけだ。

バイト先に夕方出勤したにも関わらずおはようございますと言うことにも、理不尽や不条理に心を痛める回数が減ったことにも、寝癖直しにヘアワックスで髪を固めることにも、ただ慣れたのだ。

社会の歯車として順応したのではなく、背景に擬態するカメレオンのように、なにかを装うことで身を守っているのだ。

これから先の人生、僕の日常から疑問は消えていく。

いや、たしかに疑問はそこに変わらず存在するはずなのに、僕は見て見ぬ振りをするようになる。

全てを見逃すとまでは言わずとも、きっと気に留める回数は減る。

意味もわからず作業をこなすことにも慣れる。

怒られることにも慣れる。

人間が進化の過程で手に入れたものは多い。

木の上での生活を捨てて、莫大なリスクと膨大なリターンが存在するの地上で生活を始めたこと。

知識、経験、技術。

偉大な発明も数知れない。

ただ僕が思うに一番偉大で恐ろしい発明は、慣れること・習慣化することではないだろうか。

慣れることは楽だ。

ただそれは痛覚が鈍感になることと引き換えに、交感神経の働きも鈍くなる。

 

僕がここまで書き進めてきたことはあくまでも僕の持論であって、一般論からは大きく逸れる。

僕が気にしすぎているだけのことだ。

そんなら過剰な自意識を抱え込んで、僕はもうすぐ東京に着く。

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握手会に行ってみて

最近めっきりブログを書いていなかったから、なんとなく書くことにした。

外は霙っぽい雨が降っていて、自分の身になることに一切の興味を失ってしまったことに起因するのかもしれない。

 

さて、そんなことは置いておくとして、僕はついこの間行われた全国握手会(大阪)に参加した。

初めての握手会となった今回、はっきり言ってモチベーションがそこまで高かったとは言えない。

往復に2万円と少しを捻出して、買いたくもないお土産を買ってまで参加する必要が感じられなかったからだ。

周りの人も「初めての握手会が大阪?たいへんだよ」とか「自分だったら行かない」など、大変有り難い言葉も頂戴していた。

結果から言うと、わざわざ大阪まで行ってよかった。この一言に尽きるかもしれない。

それに伴って、目標が無くなったと言えないこともない。

 

まず先に、行ってよかったと思った理由から書くことにしよう。

たった一言で済むからだ。

可愛かった。

終わり。

……やっぱりちょっと淡白だから、もう少し書き足しておこう。

バラエティで活躍する彼女たちを見ていると、たまにこんなことを考える。

「本当に実在する人間なのだろうか」

いや、実在するんだろう。

ただ証拠がない。

精々この間行ったバスラ、全ツが関の山だ。

ただ今回、生々しい話肌と肌が触れ合った瞬間(余計に見積もっても4,5秒)たしかにそこに居ることを確信せざるを得なかった。

あの感動には、遠出しただけの価値が含まれていた。

間違いない。

僕のコミュ障っぽい捨て台詞も、気持ちの悪いニヤケ顔も、今になっては恥ずかしいけれど、その時は然程気にしなかった。

 

そして今、僕は次なる目標を探している。

今までは俗に言う、言い訳の期間だったんだろう。

ライブを観たいけど当たらない(そもそも応募していない)、握手会に行くほどのめり込んでない(余ったCDは数え切れない)、そうやって自分を、ライトなオタク層に押し込むことによって、世間からの当たりの強さを感じないようにしたり、興味の対象が広いことを自慢げに思ったりしていた。

自分の溜飲を下げてたんだと思う。

ただ、今年は友人と一緒に東京・大阪にライブや握手会を目当てに遠征した。

してしまった。

面倒な手続きを経て航空券も取ったし、宿泊施設の予約も済ませた。

できてしまったからこそ、もう言い訳はどこにもできない。

足を伸ばそうと思えば、九州や北海道、果てはどこか異国の地まで行けることを知った。

今まで避けて通ってきた楽しみを味わってしまった。

バナナマンを生で見られたし、至近距離でメンバーも見たし、満面の笑みでサイリウムも振ったし、声が枯れるほどコールも叫んだ。

なら次は?

「初めて」の感動に勝るほどの感動に巡り会うときはいつやってくるんだろう。

今こんなに一生懸命になったいる趣味でさえ、後悔の種になっていくんだろうか。

そう思うと末恐ろしくなるが、多分僕は2月のバスラに応募するだろうし、どこかのタイミングで握手会にも行く。

特段これといった理由もなく、なんならあの感動に再び出会う喜びを求めるでもない。

負い目や、後ろめたさを感じる暇を、別の何かで埋めようとする。

 

こうして書いてきたことは、きっとマイナスなことばかりでもなくて、むしろ新しいプラスを生み出す一助になると思う。

この一年間は僕にとって新しいことが多すぎただけだ。

人でごった返した心斎橋前のように、雑多ななにかの合間を縫って歩いていたところを、急に原っぱに放り出されただけだ。

心底そう思う。

初めて見た満点の星空の美しさに徐々に飽きることがあっても、今度は星座を作り出そうとするだろう。

そうやって、少しずつ自分の中の初めてを増やしていきたいし、ささやかな楽しみにしていきたい。

 

握手会が終わった直後のやりきった感は、こうして僕の中に吸い込まれていった。

興味があるにも関わらず(本人の心意気次第で不可能じゃないこと)手を出さないことは、何かしらの理由をつけて「できない」にすり替えているだけなのかもしれない。

それは怠慢だし、臆病なことなのだと思った。

もちろん、行きたくても行けない理由がある、チケットを当てたくても当たらない、そうした本人の努力やなんかが全く効力を持たない理由である場合は除くけれど。

 

久しぶりに、自分の中で溜まったものを吐き出せてよかった。

これからも一週間に一回くらいのペースで更新できたらな……なんて思ってみたりする。

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宮城ぐらし

最後に僕がブログを更新してから1ヶ月が経ったらしい。

"らしい"と言うのも、先日メールが来たのだ。

「前回の更新から1ヶ月経ったから、そろそろお前なんか書けや。日記でいいからさ」

要約するとこんな内容だったと思う。

余計なお世話だ!別に誰に頼まれたわけでもなく勝手につらつらと書いていたのに、更新しなくなったら催促とはなんたる所業!いいだろう、やってやろうじゃないか。

と、いうわけで今回こうして筆を執った次第。

 

さて、何か書こうとは思ったものの、実際のところ中身がない。

天晴れ!喝!と言及する出来事もない。

ほとほと困り果ていたところ、一冊の本が枕元に無造作に積まれていた。

「仙台ぐらし」伊坂幸太郎著のエッセイである。

おぉこれはいい、これでいこう。

僕は伊坂幸太郎先生の作品が好きで、時たまツイッターでも触れている。

このエッセイは先生の温かみというか、奇妙奇天烈な登場人物や設定が生み出される源泉のようなものを垣間見ることができるので、ここでオススメしておく。

 

余談はさておき、つまり今回何を書こうかというと……特に面白い話は思いついていない。

いや、こう言うと語弊が生じるが、つまり取り留めのない話をしようということだ。

林檎は紅くて可愛らしいなぁ。とか、齋藤飛鳥はどうしてここまで美しくて、可愛くて、儚くて、それでいて力強いのだろう。とか、そんな当たり前のことを書く。

小難しく見えても、それは古文漢文のテキストのようなものだと思う。

一見すると高尚に思えるものも、現代語訳してみれば、ただ紫式部清少納言のことをdisってるだけだったりするようなものだ。

 

最近身近で起こったニュースは特にない。

あるにはあるが、わざわざここに書いて宣伝するものではない。

オフィシャルなものではないが、プライベートなところで言うと、11月15日は僕、外山の誕生日だった。

毎年思うのだが、1年の中で中弛みの木曜日的なポジションにある11月の、しかも面白いイベントがあるわけでもないど真ん中の15日。

そんな日に生まれついた僕は、割と誕生日を忘れられることが多い。

その事実に小学生の頃に気がついた僕は、1週間ほど前からちょっとずつアピールすることで、「誕生日誰にも祝ってもらえない問題」を乗り越えてきた。

すると不思議なもので、中途半端な月の中途半端な日が誕生日ということは案外覚えてもらえるらしい。

今では夜中にわざわざ連絡をくれる友人達には感謝の気持ちでいっぱいだ。

そして11月も折り返しということは、いよいよ12月へと人々の心はシフトしていく。

熾烈を極める年末年始商戦の時期とでも言おうか、彼方此方でそんな広告が目に入る。

もう1年も終わろうとしているのだ。

まだ振り返るには早いが、振り返るための準備をしておくには丁度いいのかもしれない。

 

僕が妄ツイを書き始めて、半年程経った。

僕にとっては今までHBくらいだった生活が、2Bくらいには濃くなったかなと思う。

ああそれと、よく笑うようになったかもしれない。

普段の生活では「広く浅く」をモットーに、様々な部屋に顔を出して談笑しては、じゃあまた!なんて言って部屋を出て、また次の部屋へ……なんてことを繰り返しながら友人を増やしているが、ここではそこまでの広さを求めなくてもいいと、書き始めて早々に気がついた。

六畳ほどの広さはいらなくて、四畳半くらいの丁度いい手狭な感じが居心地がいい。

何かに対する責任も負わなくていいし、好き勝手言ってたら自然と厳選された人だけが残って、その人たちとお喋り(僕が一方的に喋っているだけなのだが)している時間が好きだ。

身勝手に振舞っても、特に咎められることもないから、よく笑うようになったのかもしれない。

 

これはまた今度1年を総括して振り返るときに話すことになるとは思うが、ライブに2人の友人と一緒に出かけたことも、まだ記憶に新しい。

東京遠征なんて、いつかいつかと思ってはいても、実際なかなか踏ん切りがつかなかったものだった。

それが今年は東京に3泊、宮城で行われた2日間のライブも両日参戦。

あの空気感というか、手触りがまだするようだ。

 

最後になるが、ここまで読み進めた方々は(あれ?これ結局なんの話だったの?)と思っているだろう。

だが僕に対して怒ることは筋違いだ。

前もって身になる話はしない、と堂々と言い切ったのだから、ここまで読んだことは全て自己責任でお願いしたい。

今後暇になったときは、ブログをちょこちょこ更新していくかもわからない。

皆さんも暇だからこうして僕のブログなんていう、家畜の餌にもならないようなものを読んでいるんだろうし。

もしこれを読みきって尚、暇だということであれば、僕の作品を読んでみるといいと思う。

僕が読者なら、こんな傲慢な提案はお断りなわけだが。

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「あの頃、君を追いかけた」を観賞した感想

最初に断っておくと、この感想は是非映画を観てから読んで欲しいし(一部内容に踏み入る箇所がある)、僕が今から書いていく感想は感想ではないのかもしれない。

パンフレットに載っている、映画ライターが書いた、なんだかよくわからないけど良さげなことが書いてあるページ。

そんなものだ。

 

過ぎ去った過去に想いを馳せることがときたまある。

それは時に晩酌のおつまみにあてがったり、子守唄代わりに頭の中で反芻させたり、不意に襲ってきたりもする。

この映画はそのどれかに当てはまるというわけでなかった。

身体を椅子に縛り付けられて、目をクリップでカッと開かれたまま瞬きすら許されず、目の前で一ページずつアルバムを捲られていく。

これはもちろん悪い意味ではない。

それほどまでに鮮烈で、眩しすぎたのだ。

あれが金曜ロードショーなら、僕はテレビの電源を落としたり、録画していたなら早送りしてしまっていた。

あの空間だから、逃げられないあの場所だから、僕は僕と向き合えたのだ。

 

映画を観ながら僕は、自分をどの登場人物に自己投影しようかと考えていた。

しかし結局終わってみれば、僕は誰でもなかったのだ。

自分のことに置き換えて考えて欲しい。

あそこまで明確に個性付けされたキャラクター、つまり友人が周りに集まっていただろうか?

たしかに性格は違うけれど、でも何かが同じような人が僕の周りには多かった。

では何故、映画の中で彼らはああして集い、戯れ、近づいては遠のく関係性を十年間保ち続けたのだろう。

それは当然、あの映画がフィクションだからだ。

舞台はどこかの地方都市で(作中では湘南という地名が出てきてはいたが)、東京やアメリカという聞いたことのある地名こそ出てくるものの、彼らの着ている制服は台湾を思わせるものだった。

アレは架空の日本で繰り広げられた話だったのだ。

そうして明確に線引きがなされた上で話は進行していった。

ではこの映画は感情移入の余地の無い、駄作だったのだろうか?

僕はこれをはっきりと否定したい。

駄作だったのなら、僕はきっと鑑賞後にここまで胸がズキズキとは痛まなかった。

駄作なら、僕はあの場で大声で叫びたくならなかった。

僕らにはあそこまでの青春は無かったのかもしれない。

でも過ごしたのだ。

入学式も、文化祭も、体育祭も、修学旅行も、卒業式も。

たしかに存在した僕らのかけがえのなかった時間が、想い出が、蓋をしていた心をこじ開けられて覗かれたから、僕はあそこまで感動したのだと思う。

 

作中で、主人公の水島浩介(山田裕貴)は何者でもない自分を常にコンプレックスに感じている。

ただ僕は、彼こそがあの七人の中で最も特別だったと思った。

それは他ならない早瀬真愛(齋藤飛鳥)との関係性に現れていた。

登場する七人の中で(クラスや学年、学校にまで規模を広げたらその数は更に増えるだろうが)早瀬に憧れた人が何人もいた。

でも彼らには届かなかったものを、浩介はときに柵を飛び越え、ときに遠回りもしながら最後まで手を伸ばし続けた。

真愛や友人達との関係が千変万化する中で浩介は自分を見つめ、やはり苦しむ。

僕には彼こそが僕から最も遠い存在に感じた。

僕は自分が何者でもないことを知っていながらも、その答えを未来に先延ばしにしていたからだ。

この作品で僕が最も憧れたのは、眩しい青春でもなければ、早瀬真愛でもなかった。

水島浩介が持つ、瑞々しくて痛々しい感性だったのだ。

 

この作品をご覧になった方々には周知の事実であろうが、この作品には様々なIFが散りばめられていた。

あの時こうしていれば、あの時ああしなかったら。

そんな後悔のようなものが大半だったに違いない。

このIF(作中ではパラレルワールドと呼ばれていた)については、作品の終盤にて主人公の水島浩介の口からも語られる。

僕はアレこそが浩介の幼稚さ、女々しさの極致に感じた。

僕らは知っているはずなのだ。

過去のIFに現在の僕らが言及したって、僕らには未来しか残されていない。

それでも彼はそのIFに縋りたかった、もしくはそう思うことで自分をなんとか保とうとしたのかもしれない。

そんなどこまでも幼稚で、等身大の自分しか持ち合わせていない彼は、僕の心を強く揺さぶったのだった。

 

僕は「あの頃、君を追いかけた」とは、水島浩介の回想記のように感じた。

それは所々で彼自身がナレーションを務めたからではない。

思い返してほしい。

彼を含めた友人は計七人、その中で彼と真愛を除くと五人。

その五人との想い出は、強烈なインパクトのある部分がピックアップされていたのに対して、真愛との想い出はどうだったか?

日常で取り交わされる、限りなく意味を持たないシーンが多かっただろう。

鑑賞後に僕は、それは当然のことだったのだと悟った。

大切な人(友人も大切だがそうではなく、意中の人)と過ごす時間に、どうでもいい時間なんてない。

全てがかけがえのない、全てが意味のあるシーンでしかなかったはずだ(少なくとも僕には心当たりがいくつもある)。

それに彼が直接関与していない場面は、非常に簡潔に淡々と描写されていたのも、それを決定づけるものだった。

 

僕の知人がこの映画を観て「この映画が人生で一番の映画だ」と語ってくれた。

ただ僕はそれに疑問を呈したい。

僕はこの映画をNo. 1にする気などさらさらない。

特別賞だ。

僕にとってこの映画は、その時の気分や感情に左右されることのない特別なものだったのだ。

 

そしてここまで書き進めてこんなことを言うのも変な話だが、僕は皆さんにこの映画を勧めることに対して、大きな抵抗がある。

自分の中にだけ留めておきたい……と言うと大変烏滸がましいが。

それに、この映画を観ることは否が応でも自分との対話を余儀なくされる。

それは僕にとって、決して楽なことではなかった。

だからこそ人には軽々しく勧めることが憚られるのだ。

ただそれに矛盾する気待ちも薄らと芽生えた。

一人でも多くの人に、この心地いいズキズキを感じてほしい。

 

エンドロール後照明が点灯してから僕が席を立つまでの数十秒、僕はこんなことを考えた。

お祭り、テーマパーク、そして映画館。

そんな特別な場所のシンボルの一つを担うポップコーン。

僕らは劇場に足を一歩踏み入れたとき、あの甘いものに目がなかった幼少期を思い出させる、芳ばしくてどこまでも甘ったるいキャラメルポップコーンの匂いに釣られる。

そして買ってしまった人が何人もいることを知っている。

席に着き、映画が始まってからも、ポップコーンを頬張ることをやめられない。

でもいつか、その甘さに限界を感じて残してしまう。

でも食べきった人は皆口を揃えて言うことだろう。

「もったいない。後半になると、その甘ったるさの奥にある苦味こそが、本当に美味しいことを知るのに」

青春もその香りだけは甘い。

その甘さに落ち着かず、ずっと食べ進めていて僕は良かった。

その本当の美味しさに気がつくまで、僕にはもう少しだけ時間が必要だったのだ。

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サヨナラの意味なんて見つからない

外山のブログを閲覧いただきありがとうございます。

 

何を書こうと思っていたタイミングでの若月佑美さんの卒業。

悲しかったですね。

いや違うか。悲しかったんじゃなくて寂しかったんです。

乃木坂46が発足してから7年半ですか?7年半もグループにいれば、それはもういて当たり前の人になるじゃないですか。

そんな人も卒業していくんですねえ。

今年の頭に生駒里奈さんが卒業を発表してからというもの、乃木坂ファンにとっては怒涛の一年になったかと思います。

それと同時に、妄ツイ師として凡そ5ヶ月弱活動してきた僕にとっても、出会いと別れの多い年となりました。

まあ一年の終わりにはまだ遠いわけですが。

 

元々僕が妄ツイを書こうと思ったきっかけは、誰かに憧れたり、誰かに僕の作品を読んでほしいという、立派な動機ではありませんでした。

ただ乃木坂ファンの友達が欲しかったんです。

自分語りになって申し訳ないですが、僕の過ごした高校は、アイドルのファンであることを容易に打ち明けられる環境ではありませんでした。

勉強に必死だったり、部活に精を出したり、それはどこの高校でもそうかもしれませんが、中途半端に賢い奴が集まると、その色は顕著になりましたね。

それは大学生になった今もあまり変わりません。

僕自身もどこか恥ずかしいのかもしれません。

僕は乃木坂46が好きなんだ、と声を大にして言うことが憚られると言いますか。

そんなとき、10年来の友人(彼もふとしたタイミングで乃木坂ファンだと打ち明けてくれました)が、この界隈の存在を教えてくれました。

数少ない趣味の一つが読書でしたから、僕もその真似事なら出来るかもしれない。

そうしたら臆面もなく乃木坂が好きだと言える友人が増えるかも……なんてところから始まったんです。

いやぁお懐かしや。

でも最近思うんです。

友達を増やしたくて始めたこの活動は、かえって失うものを増やしただけなのではないか。

今までは乃木坂の動向だけを追っていればよかったものを、仲の良かった妄ツイ師の引退や休止にまで目を向けなければならない。

そんな想いがここ何日か、いや随分と前から僕の心に影を落としていました。

 

さて、誰かの卒業発表の度によく引き合いに出される曲が乃木坂46には存在しますね。

そう、「サヨナラの意味」です。

僕は齋藤飛鳥さんを現在のところ推していますが、以前は橋本奈々未さん推しでした。

随分ミーハーなチョイスだなんて言わないでください。

好きだったものは仕方がありません。

この曲は発表当初からずっと好きで、未だに夜中なんかに聴いちゃうと涙が出ます。

昔は曲を聴いて複雑な気持ちになる度に、「いやぁ僕もまだまだサヨナラには強くなれそうもないや」なんて思っていましたが、最近はそれも変わりつつあります。

と言いますのも、この曲で強調されている「サヨナラに強くなれ」の部分が、変に強がっているように聴こえてきたんです。

曲のサビ、つまり一番伝えたいメッセージにこれを据えたからには、秋元康氏なりの理由があるのでしょう。

しかし、こう伝えるのが難しいのですが、自分の手を離れた作品はもう100%自分の思うようには伝わらないし、反対に自分では気がつかない自分の気持ちが込められて、それを人はキャッチしてしまうんです。

それは妄ツイを書き始めてから知ったことでした。

いくら綺麗な言葉で着飾っても、あの曲には秋元康氏のどこか歪んだ気持ちが込められているような気がしてなりません。

人はサヨナラには強くなれないと知っていながらも、強くなったように見せなければならない。

そんな想いが透けて見えるのです。

これは批判文ではありません。

当然なんですよそんなことは。でも自分に言い聞かせないといけないからああいった歌詞になったんだと思います。

 

それを踏まえてもう一度曲を聴いてみると、以前は深く感動していた部分とは違う箇所に、とても納得してしまったんです。

 

サヨナラは通過点
これからだって何度もある
後ろ手でピースしながら
歩き出せるだろう
君らしく…

 

別れは何度もあるんだと頭では理解していながらも、一番最後の歌詞に使われている三点リーダがなんとも言えない味わいを醸し出していると思うんです。

まあそんな歌詞考察はここでは割愛するとして、僕の今の別れに対する気持ちはまさしくここに集約されていると言っても過言ではないでしょう。

自分が悲しかろうと寂しかろうと、別の道を歩いて行く人のことを後ろから見送ることしかできないんです。

そしてその人が振り返った瞬間だけでも、僕らは精一杯取り繕った笑顔でいられたらそれでいい。

そう思うんです。

 

僕は人生で何度か入退院を繰り返して、そこで出会った人とその場の別れだったり、一生の別れを経験しました。

前者はまだいいんです。

後者が問題なんです。

後で再会して、あのとき本当は別れたくなかったんだよとは言えないわけですから。

人生がどんな形で終わるかなんて誰にもわかりません。

だからせめて最後くらいはお互い笑顔で終わるべきなんです。

家を出るとき、友達に手を振るとき、僕が今まで出会った人と別れるときは、その内情は二の次三の次で笑顔で別れることにしています。

 

話がだいぶ脱線しましたので元に戻しますと、要はうじうじといつまでも後悔したり悲しんでも仕方がないんです。

本名も顔も知らない遠く離れた地で暮らす僕の友人の言葉を借りるなら、「悲しいけどそれはその日限りの感情で、次の日からは応援しないと」

一字一句正確ではないですが、おおよそこんな感じだったかと思います。

 

歳を重ねるにつれて、出会いよりも別れの方が多くなってきたなと思う今日この頃。

僕は未だに「サヨナラ」の意味を言葉にすることができません。

意味を見つけたいと思うし、その反面見つけてはならないような気もします。

何がその気持ちを起こすのか。

おそらくは時間なんですよね。

僕には推しメンを応援していた時間が存在したし、今はもうここにはいない人々と過ごした時間がたしかに存在したんです。

それを乗り越える必要なんてどこにもないんでしょう。

どんなにみっともなくても、その想い出を乗り越えることなどせずに、僕は延々と引きずったままいたいと思うのです。

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妄ツイを書きたいと考えているものの、躊躇しているあなたへ#終

外山のブログを閲覧いただきありがとうございます。

#6では下書きや設定に関するお話をさせていただきました。

正直なところ#6で触れた内容は、書いている個人の好みによりけりなので、あえて僕の方から恩着せがましく説明しなくてもよかったんですけどね。

ということで、今回は妄ツイを投稿するときに皆さんの頭を悩ませるであろう、モーメントの作り方を紹介しようと思います。

今回でおそらく妄ツイ初心者に向けた講座は最後になるかなぁ。

 

※ここから⑧までの間に書くことは、後日追加によって書かれたものになります。ご了承ください。

すっかり書くことを忘れていましたが、画像の選定に関する情報を書き漏らしていました。

申し訳ない。

そこまで大した内容を書くつもりはありませんが、妄ツイを書く上では大切な事柄ですので書いておきますね。

 

画像を効果的に使うことで、更に妄ツイの内容を膨らませることができます。

1ツイート毎に写真を貼っていくもよし、モーメントの表紙にのみ使うもよし、一部強調したいツイートのみ使うもよし。

そこは自由で構いません。

僕の場合は下記のようになります。

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これがモーメントの表紙にのみ写真を使用しているパターンのほんの一例です。(僕は殆どこのパターンなので)

続いてはこちら

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ここに貼った2枚の画像は連続するツイートです。

このようにどこに写真を使うのかによって、自分が伝えたい文章や、強調したい事柄を強く印象付けることが可能です。

1ツイート毎に写真を使うパターンは、僕の場合は投稿したことが一度もないので、あくまでもこのようなものが続くと想像してください。

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これは以前僕が短編を書いた際のツイートです。

このように、1ツイート毎文章の背後に写真を載せるやり方も広く浸透しています(というよりもメジャーです)

 

僕は一部例外を除くと、殆どがモーメントの表紙にのみ写真を使用するという方法をとっています。

それにはいくつか理由がありますので、列挙していきます。

・画像を取集するのが大変

・プロの手によって撮られた写真と、メンバーの自撮りとでは写真から伝わってくる意味合いが違う

・一般的な小説や新書をある程度読んできた身からすると、写真がある方が違和感がある。

・モバイルメールで送られた写真を間違って載せてしまう危険がある

こんなところです。

1つ目の理由に関しては、完全に僕の怠慢ですね。しかし、一度にたくさんの写真を使用するやり方だと、作品が増えるにつれて自分の抱えている在庫がどんどん無くなっていく危険が常に伴いますので、そういった意味でも僕は避けています。

2つ目が特に大きな理由ですかね。これは僕の作風が強く作用しているということもありますが、ただただ可愛いメンバーの画像を並べていけばそれでよし。とはならないんですよ。

読者の皆様には、僕があえてこの画像を使っているということの意味を感じ取っていただいて、更に作品に味わいをもたせたいのです。

3つ目の理由に関しましては、僕の感じ方によるものが大きいので割愛させていただきます。

4つ目の理由もバカにはできません。通常モバイルメールはお金を払って、その対価として送られてくるものです。

その写真を、いくら知らなかったとはいえ無断で使用することはご法度です。

そして、ここまで色々と書いてきましたが、そもそも広く出回っている乃木坂46の写真は、もともとは写真集や雑誌に掲載されていたものがその殆どです。

その写真を勝手に使用している時点でもう相当グレーなことをしているのが我々です。(運営様の恩寵により、今はお咎めなしですが。多分)

従って、なるべくなら写真を使うことは避けたいというのが僕の本音ではありますね。

そこには一旦目をつぶってここから書き進めることにしましょう。

えー、こほん。

自分が作品に使用したい写真は事前に集めておくか、投稿する直前になって集めるかのどちらかになります。

僕は写真からインスピレーションを得て書くこともありますし、作中で服装や場所を言及する場合のことも想定して、事前に集めておく派です。

まあここも個人の自由ではありますが。

↓からは妄ツイを投稿するまで、そして妄ツイを投稿した後に諸々気をつけることについて書いています。

お付き合いください。

 

⑧妄ツイを投稿しよう

これは文字で説明するよりも、実際に見ていただいた方が早いかと思います。

1 作品を書いたメモを開く

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2 画面を長押ししてから指を離して、すべてを選択 をタッチ

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3 コピー をタッチ

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ここまでは特に言うことなし。

4 Twitterのこの画面(わかりやすさとはなんだったのか)を開いて、モーメント をタッチ

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※塗りつぶしてあるのはリア垢です。

5 右上の稲妻マークをタッチ

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6 この画面になったら成功。タイトルを入力したり、画像を選択したり、説明欄に何か書いたりしましょう

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まあここまでは説明するまでもないかもしれません。

おそらく問題は次の行程から。

 

7 ツイート画面を開く

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8 先ほどコピーしたものをそのままドーンとペーストする

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ここで赤くなっている部分は、文字制限超えてますよーという意味です。

9 先ほど同様、すべてを選択 をタッチ

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ここで青いバーを動かして、自分がここまでは収めたいんだ!という場所までバーを動かしましょう

※あと数文字削れば入りきる。といった場合には、ここで不要な部分を削る作業もできます。

10 バーを動かした後、カット をタッチ

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バーで囲った部分が全て消えたように見えるかもしれませんが、ご安心ください。ちゃんと残っていますので。

11 文字制限はクリアしたはずなので、右上にある、ツイート をタッチ

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これで1ツイート分の投稿は終わりです。

以下7〜11までの流れを繰り返して、妄ツイというものは完成へと向かっていきます。

 

あくまでもこれは、僕が投稿するときのやり方に過ぎません。

もしかしたら、変にまどろっこしいやり方になっているかもしれません。

そのときは本当に申し訳ない。

メモをスクリーンショットして、それからその画像を貼り付けて投稿するスタイルの人は、1〜7までは同じです。

それ以降は、ただ画像を貼り付けて投稿するだけです。

こっちの方が簡単と言えば簡単ですが、どちらを選ぶかは個人の自由ということで。

 

12 モーメントの編集画面に戻り、下部中央にある ツイートを追加 をタッチ

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13 自分のツイート に表示されている、自分が投稿したツイートをタップしていく

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このとき注意していただきたいのが、自分のツイート いいね済み 検索 このどれもが25ツイートまでしか遡れないことです。

26ツイート目からは、古いものが押し出されるシステムになっています。

したがって自分が10ツイートほどしたら、この編集画面に戻ってきて追加する。それからまたツイートする。といったようにすると混乱しないかもしれませんね。

14 ツイートを全てモーメントに入れたら、右上の モーメントを公開 をタッチ

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15 モーメントを投稿する際に何か一言添えて、それから投稿

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僕が#齋藤飛鳥 などメンバーを書くことには一応意味があります。

それは、読者の皆様にフィーチャーされているメンバーを明示する目的が一つ。

もう一つは、メンバーの名前で検索をかけたときに、僕の作品や名前が多くの人の目に触れる機会を増やすという目的があります。

これでフォロワーさんが増えるかはわかりませんが、少なくとも何もしないよりかは読んでいただける確率が上がりますよね。

 

以上をもちまして、妄ツイの書き方講座を終了させていただきます。

微力ではありますが、妄ツイを書きたいけれども踏ん切りがつかない方へのエールになれば幸いです。

ここで紹介したものは、全て僕個人の主観や経験則に基づく一意見に過ぎません。

それでも、何もないところでいきなり書けと言われるよりかは、指針(大袈裟な言い方をすれば)のようなものがあるだけで違うのかもしれない。という想いでここまで書いてきました。

少しずつではありますが、このブログを閲覧していただいた方からの嬉しい反応も返ってきています。

それだけでも書いてきた意味と言いますか、意義と言いますか、そんなものが感じられます。

僕が最後にお伝えしておきたいことがいくつかあります。

・初投稿から一週間が大切。毎日とは言わなくとも、3〜4作品を投稿できるとそれ以降も読者様に安心して読んでいただけます

・感想をいただいたときは丁寧に返信することを強く推奨。案外感想って送るのに勇気がいるもの。感想を書いてよかったな、とおもっていただける返信ができるといいですね

・フォロワーの数≠妄ツイの面白さ。フォロワーを増やすことばかりを考えていないで、今読んでいただいている人を一人でも感動させられる妄ツイを書く努力をしましょう。数字を気にしても仕方がありません

・自分の作品の一番のファンは自分であれ。皆さんの作品を心待ちにしている読者様の前で「僕の作品なんて……」なんてことが言えますか?反対に自分が言われたらどんな気持ちになるでしょう。そもそも自分で納得もしないまま、なあなあで投稿する時点でおかしいのです。自分が胸を張って好きだ、と言える作品を投稿していけるといいですね。

乃木坂46あっての我々ということを、ゆめゆめ忘れてはならない。数字が増えると、何故だか気が大きくなる方が多々いらっしゃる印象です。我々は偉くもなんともありません。乃木坂46のメンバーが幸せであることが一番なのです。

 

と、長々と書いてきましたが、要は妄ツイ師と名乗る以前に、一人の人間として立派に立ち振る舞いましょう。ということです。

これからもブログの方はちょこちょこ更新していきたいと思います。

なお、今までの解説で何か不明な点や、何か聞きたいことがある場合は、お手数ですが僕の質問箱に来ていただけるとお答えできるかと思います。

質問箱のURL→https://peing.net/ja/mosootaku5054?event=0

それではお別れの時間が迫ってまいりました。

ここまで全部読んだ方はいらっしゃるのでしょうか?まあそれはわかりませんが、お付き合いいただきありがとうございました。

またTwitterなりブログなりでお会いしましょう。